2016年10月2日日曜日

2016年10月2日「激しい逆風を用いて」稲山聖修牧師

聖書箇所:使徒言行録27章1~12節

パウロを乗せた船は東地中海に面したパレスチナの港湾都市シドンから出たが、向かい風のためキプロス島の陰を航行し、現在のトルコの南の沖を過ぎて、リキア州のミラに着いたと記される。このミラという都市は港から2・3キロ奥まったところだというからパウロを乗せた船はミラから数キロ離れた港に入ったと考えられる。不思議なことに囚人の護送という、厳重に管理されなければならないはずの動きが実に行き当たりばったりだ。6節では、「ここで百人隊長は、イタリア行きのアレクサンドリアの船を見つけて、わたしたちをそれに乗り込ませた」とある。囚人の護送であっても、それが皇帝の名によるものであっても、大自然の力には勝てない。「幾日もの間、船足ははかどらず、ようやくクニドス港に近づいた。ところが、風に行く手を阻まれたので、サルモネ岬を通ってクレタ島の陰を航行し、ようやく島の岸に沿って進み、ラサヤの町に近い「良い港」と呼ばれるところに着いた、とある。人々の歩みは現代に比べて柔軟性に富み、なおかつ車のハンドルでいう遊びの部分を必ず残す。使徒言行録の人々は自然を前にしての人の弱さを心底知っているからかもしれない。
 この遊びの部分について、近代を経た私たち日本に暮らす民は考え直す必要があるのではないか。かつてベオグラードに滞在したとき、家内が少年のスリに遭った。先方には無防備な外国人に映ったのかもしれない。振り返ると、少年を守るために大人たちが円陣を組んでいた。民族的にはロマと呼ばれる人々。だが不思議にも怒りは湧いてこなかった。今なお様々な差別を受け、貧困の中に暮らすロマの人々が外国人相手のスリを生業としたところで、誰が非難できるだろうか。むしろセルビアの苦難に満ちた歴史を思うと極貧にありながら、よくもまあ生きているものだと感心さえした。日本人が同じ環境に置かれたら果たして生きていけるだろうか。ときに観光地となる西ヨーロッパの教会に比べ、東方正教会・セルビア正教会では御国を来たらせ給えとの切実な祈りが献げられていた。
聖日礼拝への出席は、逆風の中で変更を余儀なくされる日常に秘められた主のみむねに信頼を寄せること。計画のごり押しは時に排除をもたらす。ナチはロマを虐殺した。今日は世界聖餐日。パウロも旅の中でパンを裂いて祈る。国のない人々とも、私たちは繋がっていることに感謝したい。