2016年10月16日日曜日

2016年10月16日「誰一人いのちを失わず」稲山聖修牧師

聖書箇所:使徒言行録27章13~26節

時にパウロは自らの苦しみを正直に記す。コリントの信徒への手紙Ⅱには「キリストに仕える者なのか。気が変になったように言いますが、わたしは彼ら以上にそうなのです。苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度、一昼夜海上に漂ったこともありました。しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、街での難、荒野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫る厄介事、あらゆる教会についての心配事があります」とある。苦しみつつパウロはキリストの恵みの証しに全てを賭ける。
 使徒言行録27章13~26節では、百人隊長がパウロの警告よりも船長や船主を信用した結果、クレタ島のフェニクス港に停泊し、三ヶ月に及ぶ越冬の備えをするところから始まる。船は錨を上げクレタ島の岸に沿って進む。ところがクレタ島から吹き下ろす暴風「エウラキロン」が襲う。風に逆らって進められなくなった船は流されるまま。錨を降ろしてやりすごすことに決めたのにも拘わらず暴風は止まない。人々は積み荷を海に捨て始め、三日目には船具までも海に投げ捨ててしまう。
しかし手紙では長々と苦難を訴えたパウロは、使徒言行録では凜としている。「皆さん、わたしの言ったとおりに、クレタ島から船出していなければ、こんな危険や損失を避けられたに違いありません」。しかしパウロは人々を責めない。今朝の箇所では「元気を出しなさい」と言う言葉が二度繰り返される。その根拠は何か。それは、人命を超えたパウロならではの展望にあったといえる。『あなたは皇帝の前に出頭しなければならない』。この展望あればこそパウロは誰一人いのちを失うことはないとパウロは語り得た。
パウロの苦しみを吐露のまとめにあたるコリントの信徒への手紙Ⅱ.11章29節には次のようにある。「誰かが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか」。パウロの苦しみの吐露は聖霊の注ぎへと繋がる。世の流れ渦巻くときにこそ、私たちもキリストを仰ぎつつ展望と大志を主なる神から授かるのだ。