2016年5月8日日曜日

2016年5月8日「光のほうへ」止揚学園学園長 福井生先生 (報告:稲山聖修牧師)

聖書箇所:ヘブライ人への手紙11章1節

今朝は父母の日礼拝を守り、滋賀県東近江市・能登川にある止揚学園から福井生(いくる)学園長、職員の西竹めぐみ先生、東舘容子先生をお招きし、止揚学園の目指すところを、これまでの学園の歩みを振り返り、またこれからの道を仰ぎながらのメッセージを分かち合った。
止揚学園の創設者福井達雨先生を継承する働きを福井生先生は担われた。物心ついたときから知能に重い障がいをもつ方々とまさしく家族として、仲間として暮らしてきた。日常に触れあう仲間とはニックネームで呼び合う間柄。時は流れ、生先生は寮のある高校に入学した。暮しの場所が遠ざかる中で、里帰りした先生は、障がいをもった年上の仲間から「お兄さん」と呼ばれたそうだ。あだ名で呼んで欲しい、ニックネームで呼んで欲しいと問うても呼び名は変わらない。そのときに、自分と仲間とは違う道を歩むのだ、自分は世に言う「健常者」としてできることを精一杯していかなければならないのだと覚悟を決めたという。
本来止揚学園はこどもたちのための施設であったが、歴史を重ねる中、かつてこどもであった仲間たちも歳を積み重ねるにいたった。親御さんたちは「自分が生涯を終えた後、この子たちはどうなるのか」との深い憂いと向き合わなければならない。止揚学園にある納骨堂には、学園に暮らす仲間だけでなく、父母の方々のご遺骨も安置している。納骨堂を開く度に、自分も仲間も深い安らぎに包まれるのだという。イエスさまとともに天国にいるご家族のもとに、いつか自分も帰るのだという確信である。
世の福祉行政は決して止揚学園には温かな風を送ってはこなかったが、日々の歩みを重ねる中で地域の人々は止揚学園に深い信頼と理解を寄せている。行政の下での経営を見据えながらも、その制約を超えて歩んでいかなければ、止揚学園の目指す働きは成り立たない。今日の聖書の箇所はヘブライ人への手紙11章1節「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」。止揚学園はイエス・キリストがお示しになった光なる神の愛を仰ぎ、これからも歩みを重ねる。西竹めぐみ先生の清らかな歌声が響く礼拝堂に集まった教会員、保育園職員、保護者は全員、メッセージに深く打たれた。神様の溢れる祝福が、止揚学園の働きに備えられるよう祈る。