2016年1月17日日曜日

2016年1月17日「クリスチャンと呼ばれて」稲山聖修牧師

聖書箇所:使徒言行録11章19~26節

ステファノの殺害をきっかけにして起きたエルサレムの大迫害の影響は、フェニキア・キプロス・アンティオキアという東地中海沿岸の街と島々に及ぶ。難民と化した初代教会に連なる群れ。その混乱の渦中、キプロスや北アフリカのキレネの出身者がシリアのアンティオキアへ赴き、ギリシア語を話す人々に福音を告げ知らせたと使徒言行録に記される。この噂がエルサレムにある教会に届いた結果、エルサレムの教会はバルナバをアンティオキアに遣わした。バルナバはキプロス島生まれ。時に伝統に凝り固まりがちなエルサレム出身の者ではなく、異邦人の習いに通じていた可能性がその記事から考えられる。同時に「慰めの子」との意味を持つその名には、福音に深い喜びを感じた異邦人の事情を推し量る賜物を看取できる。エルサレムで命を狙われ故郷に逃れたサウロは、バルナバの導きによりアンティオキアにたどり着いた。興味深いのは、エルサレムではなくアンティオキアで初めて「キリスト者」との呼称が生じたと記されるところである。
キリスト者との名称は、元来自称ではなく「他称」であった。自らそのように言わずして、人からそのように名指される。ごく初期には、世で恵まれた者には不快な響きを持っていた可能性がこの名称には強かったという。教会に連なる人々は「癒し」を経験した人々、穿った見方をすれば「悲しみ」を抱えた人がいた。この可能性を踏まえれば交わりに連なる人々の社会層が分る。このような人々が不思議にも喜びに包まれる場こそが教会であった。エルサレムの大迫害の結果生じた難民の群れ、あるいは難民との出会いの中で、キリスト者との呼び名が生じた。そう呼ばれて喜びに包まれた人は、あえて他者に居場所を献げることができたのだろう。
 阪神淡路大震災から21年目の今朝。東日本の震災から5年目の今を比べて異なるところは、格差社会が猛烈な勢いで広がっていることだ。有名大学の大学生でさえ困窮を抱えていたとしても驚く時代ではなくなった。その時代にキリストを仰ぐ群れが時宜に適った姿に整えられるために何が必要か。ときに蔑視の眼さえ向けられたキリスト者という名前を日毎に確認することだ。パウロは「福音は恥ではない」と語る。教会が世の人々の最後の受け皿となるとき、まことの教会として主に用いられる姿を映す。