2016年12月25日日曜日

2016年12月25日「飼い葉桶をつつむ光」稲山聖修牧師

聖書箇所:ヨハネによる福音書1章1~14節

 古代の人々には特別の力が宿るとされた言葉の力は今も変わらない。人を傷つける言葉もあれば癒したり、支えたりする力。公言された文書で国々が仲良くもなれば争うこともある。言葉をめぐるドラマに旧約聖書のバベルの塔の物語がある。天まで届く塔のある町を建て有名になろうとする態度。その昂ぶりを神は赦さず言葉を混乱(バラル)させ、バベルとの町の名の語源となったとの話。多くの言葉の由来を示すのではなく、実は高い技術力をもった人々が、その昂ぶりによって意思疎通が不可能になるとの話。救い主を待ち望む民はこれが現実だと辛酸の中で受けとめた。
 その厳しく透徹した現実認識は、世界が神の言葉によって創造されたとの確信に立つ。「神は言われた。『光あれ』。こうして、光があった」。創世記の言葉はヨハネ福音書では次のように理解される。「万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった」。風が吹こうが雨が降ろうが消えない命の光。その光は闇が深まるほどにその輝きを増す。人のもたらした嵐吹く世に灯された命の光が神の言葉のうちにあったと福音書は語る。
 ローマ帝国に征服された民には世は混沌としたままであった。一つの民を分断し、いがみ合わせ、力づくで平和を維持しつつ統治するのが「ローマの平和」。行き詰まりと諦めと絶望が覆う世。しかし神の言葉は一切ぶれない。14節にある通り「言葉は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」からだ。言葉は肉となって私たちの間に宿られた。それは神の御子が、時に砂漠をさすらうような不安に支配される肉の欲の中で、他者との交わりを支配しようとする人の欲の中で翻弄されるわたしたちの痛みをともにしてくださったことにほかならない。主イエスが生まれた場所は塹壕と同じように不衛生な飼い葉桶だった。その救い主が、自ら考えることを諦めて噂に翻弄される人々に、神の子となる資格を与えるために、世の常識を突き抜けた神の真理を語り、世を新たにする突破口を開き、神の国への展望を開き、その代償としての苦難を担われた。本日は2016年最後の礼拝でもある。様々な思いと気持ちが去来する。しかしすべてを包むのはイエス・キリストに示された神の愛の光なのだ。メリー・クリスマス!

2016年12月24日土曜日

2016年12月24日燭火礼拝「飼い葉桶をつつむ光」稲山聖修牧師

聖書箇所:ルカによる福音書2章8~20節

 クリスマス物語で描かれる羊飼いは法律の保護外に生きるアウトロー。この底辺に暮らす人々に現れたのは、主の天使である。しばしば天使は翼をもつ姿で描かれる。超越的な神の力がそこには示される。上からの光が羊飼いを照らす。神の希望と栄光の光、祝福の光。この光に包まれて恐れる他ない羊飼いに語りかける言葉は「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」。それは「民全体に与えられる大きな喜び」として遍く告げ知らされる。格差の問題はクリスマス物語の中では現代以上に深刻であった。この格差を突き崩す大きな喜びが告げられる。天の大軍が示す人には及ばぬ神の力とともに。
 神の力は決して空想的な仕方で世に臨まない。人があらゆる鎧で身を固めていることを知っている。この武装を解除する神の力は、飼い葉桶に眠るメシアに相応しい姿に人を変える。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」との平和の宣言が響くのはそのためだ。
 天使たちが見えなくなった後、羊飼いにはそれまでには考えられもしなかった力を授かった。地主の柵の中で羊を飼うあり方から、誰にも赦しを乞うことなしに「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」という固い意志であり、決断だ。この力は御使ガブリエルがマリアに身籠りを伝えたその力と同一であるとも読み取れる。その力を伝えようとルカによる福音書は何の案内もなしに、文字の読み書きも出来ないはずの羊飼いたちが迅速にマリアとヨセフ、また飼葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てたと記す。底辺にいたからこそ、辛酸をなめたからこそ「民全体に与えられる大きな喜び」に実に正直に応えていく姿が描かれる。
幼子はやがて成長して語る。「貧しい人々は幸いである。神の国はあなたがたのものである。今飢えている人々は、幸いである。あなたがたは満たされる。今泣いている人々は幸いである。あなたがたは笑うようになる」。平和や温かさや癒しを求めていた人々は、自ら平和を築き、人々を暖め、癒す力を備えられる。羊飼いは今や幼子の誕生を照らす光を映し出す鏡として働くようになる。「羊飼い達は、見聞きしたことがすべて天使の話した通りだったので、神をあがめ、讃美しながら帰っていった」。クリスマスイヴの夜、私たちも同じ道を辿りたい。

2016年12月18日日曜日

2016年12月18日「来たるべき方の正しさ」稲山聖修牧師

聖書箇所:マタイによる福音書11章2~9節

 救い主の訪れに備える道備え。洗礼者ヨハネはイエス・キリストを指し示す最後の預言者。物語としてのクリスマス物語のないマルコ福音書でさえ、洗礼者ヨハネを決して忘れない。ルカ福音書ではイエスに先立ちザカリアとエリザベトから産まれるみどり子として、そしてヨハネ福音書では、光について証しするため神から遣わされた一人の人としての立場が明記される。
 しかし本日の聖書箇所で洗礼者ヨハネは獄中であらためて自らの働きを振り返る。生きながらえることはないだろうとの不安の中で一人の預言者として苦悶する。そもそも預言者とは「予め言う」予言ではなく言葉を預かると記す。神の言葉を預かる者が預言者。預言者は旧約聖書ではアブラハムの神を見失い、イスラエルの民が己の欲得の中で人を虐げることも厭わず、権力者として己の力を過信し神から託された役割を忘れたとき、自らのいのちを顧みず諫めるとともに、同時に虐げられた人々を癒す働きかけを伴う言葉を神の言葉として証しした。その人は恐れつつ託されたわざを全うしなければならない。
 囚われの洗礼者ヨハネも人づてに問う。「来たるべき方は、あなたですか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」。ヨハネの迷いがそこにはある。苦悶のヨハネに主イエスは語る。「人々の目は開かれ、うずくまる他に何もできなかった人々が立ちあがった。人々から排除されていた病人たちは交わりを回復し、聞く耳を持たなかった人々は、耳の聞こえなかった人々とともに神の言葉に耳を傾けることとなり、死はいのちに呑み込まれ、日々食うや食わずの他に道のなかった人々には喜びが告げ知らされている。なぜならそのような人はわたしに躓かなかったからだ」。ヨハネは働きが無駄ではないとの満足の中で神から託された役目を果たした。
 教会の中でさえ聖書の語る事柄に目を閉じ、耳を塞ぐものがある場合、必ずその言い訳を求めようとして「噂」が生まれる。無責任な噂は人の心を歪ませる。しかしヨハネが伝え、キリストに成就を見た神の知恵の正しさはその働きにより明らかとなる。何も語らずに黙々と仕える人。己のためでなく隣人を満足させるために献身的に働く人。野心家ではないそんな人々が、飼い葉桶のみどり児の周りに集まるのである。人から何と言われようとも主イエスに仕える意志をもつ方々は幸い。その意志は己の意志ではなく、マリアの身体に救い主を宿らせた御霊の力による。その働きの豊かさは神の国の正しさを指し示す。

2016年12月11日日曜日

2016年12月11日「夜明けは近い」稲山聖修牧師

聖書箇所:マタイによる福音書1章1~11節

 ローマ帝国への抵抗戦争が失敗に終わり、エルサレムの神殿がローマ帝国の軍隊によって徹底的に破壊された結果、現代に通じるユダヤ教の形が整えられた。紀元90年頃。この年代は初代教会の時代と重なる。現代のユダヤ教とキリスト教は兄弟・あるいは姉妹のような間柄。異なるところはユダヤ教がメシアを待望する祈りに満ちているのに比べ、教会ではクリスマスの出来事がある点。
 イスラエルの民の歩みが、教会に引き継がれるのかと問えば、マタイによる福音書の冒頭の系図を忘れるわけにはいかない。この系図は名誉や血統を証しはしない。系図に記されるタマルという名。創世記に登場するこの女性は、次々と亡くなるユダの息子たちの責を問われ、離縁に近い扱いを受ける。けれども彼女はあえて遊女に身をやつし、夫と関わりペレツとゼラを授かる。ルツという女性はヘブライ人ではない。彼女の祖とされるモアブ人の出自は父ロトと関わった二人の娘のこどもたち。このモアブの血を引くのがダビデ王である。
 このような話は人を不安にさせるが、この系図では、イスラエルの民の栄光ではなく、破れに満ちた罪深い歩みを率直に述べているのは確か。神の愛の光が増し加われば、人の愚かな振る舞いもより鮮明になる。福音書の書き手は、苦しみ悶えの歴史あればこそ、人々は代々救い主を待ち望んでいたと語る。もし今朝の聖書の系図を血縁に則して読むならば、イエス・キリストの系図は崩れる。血縁で辿ればマリアの夫ヨセフで完成してしまうのだ。マリアが身籠ったみどり子イエスが父親との血のつながりがなかったことは、処女懐胎という福音書に記された秘義によって明らかだ。けれどもヨセフは、血のつながりがなかろうと、マリアとイエスのために生涯を献げる。イエスの育ったナザレでその名は忘れ去られるが、身籠ったマリアのために宿を探し尋ね求め、ヘロデ王の剣から幼子を、身を挺して守り、ナザレへと住まわせたその後で、父親は福音書の物語から静かに姿を消していく。
 家族の在り方が多様化した現在、おそらく多くのヨセフが今なお身を粉にして働いている。冷たい風に吹かれる子育て世代の姿は、宿屋から締め出されたマリアとヨセフに重なる。だからこそ私たちは、破れに満ちた闇の果てに、救い主イエス・キリストがおられると力強く語りたい。夜明けは近い。

2016年12月4日日曜日

2016年12月4日「神の義を待ち望む」稲山聖修牧師

聖書箇所:マタイによる福音書13章53~58節

 新共同訳のヨハネ福音書1章5節では暗闇が光を「理解しなかった」と訳される。光を理解しない闇とは何か。マタイ福音書13章53節に記された故郷の主イエスの物語に、その謎を理解する鍵がある。この箇所では「故郷」とは帰郷した人々を出迎えるのではなく、イエスがキリストであり、神の言葉であり、世の光であるとの理解からは最も遠い場として描かれる。故郷の人々は、主イエスが会堂で語った事柄には関心を寄せない。むしろ詮索を始める。「この人は大工の息子ではないか」。「母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか」。この箇所では父ヨセフの姿はない。マタイによる福音書の中で主イエスの父であるはずのヨセフは身籠ったマリアを受け入れ、ベツレヘムで宿屋を探しては締め出しを受け、それでも飼い葉桶のある場所を見つけ伴侶を守った。そしてヘロデ王から幼子と母親を守るためにエジプトへと逃れ、そしてヘロデの時代の終焉を知ると、ガリラヤのナザレに戻り二人を住まわせた。その後父ヨセフは福音書には描かれない。
マルコ福音書6章3節での表現はもっと生々しい。「この人は大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか」。最マルコ福音書では、大工という職業は父親のそれではなく、イエス・キリスト自らが人として歩まれたその生業を語る。マタイでは「母親はマリアといい」とあるがマルコでは「マリアの息子」と呼ばれる。この時代の倣いでは、長男は一般に父親の名前とともに呼ばれた。故郷の人々はイエスの父親を知らない。今日でいうところの母子家庭の子として主イエスは見なされる。人々は呟く。あのような複雑な家庭環境に育ったイエスがこのような教えを語るなどとは夢にも思わなかった、と。その妬みの中でイエスがメシアであるという事実は隠される。
待降節の第2主日。光を前にして私たちは各々あり方を深く吟味すべきである。教会の集まりが主イエスから目を背けるならば醜悪な集まりに堕落する。人々は破れから目を背けようとするかのように、不平不満を暴力として家族にぶつけたり、隣国の民に罵声を浴びせたり、過剰な求めを職場の同僚に求め追い詰めたりする。けれども幸いにも私たちはアドベントを知っている。光が灯されつつあるのだ。人々をひもじさや渇きから守る天幕が張られるように「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」。神の義は飼い葉桶に眠るみどり児が明らかにするのだ。

2016年11月27日日曜日

2016年11月27日「思いがけない神の恵み」稲山聖修牧師

聖書箇所:マタイによる福音書24章36~44節

 バビロン捕囚以降、ヘブライ人は絶えず強大な異国の民の支配下に置かれた。自由はもはや与えられず、常に何者かによって虐げられる憂き目。イザヤ書2章1節からの預言にはその行き詰まりにあって、なおも主が道を開拓してくださるとの終末論的希望が語られる。「終わりの日に、主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち、どの峰よりも高くそびえる。国々はこぞって大河のようにそこに向かい、多くの民が来て言う。『主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう』と。主の教えはシオンから、御言葉はエルサレムから来る。主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう」。多くの争いや戦争の記事が描かれ私たちの困惑する旧約聖書。けれども人の愚かさや醜さをこれでもかと踏まえたうえで、イザヤ書は主の裁きが転じて人々の剣を鋤とし、槍を鎌とする、つまり争いから人みな地を耕す平安を備えると約束する。この終わりの日は、救い主の訪れに示される。それは思いがけない日に訪れるとマタイによる福音書の書き手は記す。
 私たちは待降節の中で収穫感謝日礼拝を迎えた今日、何を待ち望むというのか。確かに主イエスの誕生は神の現臨される、終わりの日の先取りとして刻まれる。救い主の待望は、終末論的な響きを伴う。その響きとともに、ルカによる福音書でイエスの母マリアが天使ガブリエルから受胎告知と洗礼者ヨハネの母エリザベトの祝福を受けて語った言葉を私たちは聴く。「主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力のある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えで人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません」。マリアの賛歌を熟読すれば、権力と身分の大変動が記され、次いで、食に事欠き、ひもじさに苛まれている人々がもはや生きるに窮する必要もなくなり、富めるものとの立場が入れ替わる。そしてその大変動は、創世記で族長達を導いたアブラハムの神・イサクの神・ヤコブの神からそそがれる力に基づくものなのだとの確信がある。このわざを行うのはインマヌエルの主ご自身であるところに私たちは信頼と希望を置く。これこそが後世に託せる最大の遺物であると待降節の始まりに確信したい。

2016年11月20日日曜日

2016年11月20日「船出のときに必要なもの」稲山聖修牧師

聖書箇所:使徒言行録28章1~10節

海難事故から救助されたパウロはマルタ島を管轄するローマ帝国の長官プブリウスと出会う。パウロはプブリウスにマルタ島の長官という公の立場を踏み越えて長官の家族と関わる。プブリウスの父親は下痢を伴う熱病に罹っていた。パウロは祈り、手を置いてその苦しみを癒した。マルタ島の他の病人もやってきて癒しを授かる。本来なら避けられなければならないはずの重篤の病が、パウロの癒しを通して島の人々の交わりが新たにされる。このような仕方でパウロは証しを立て、深い敬意とともに船出の際には必要な支援を受けた。
 もちろん人の信仰に神の恩寵が先んじるとパウロは語る。ゆえに信仰の深い・浅いあるいは短さ・長さは根本的には問われない。使徒言行録は英雄伝ではない。一度は主イエスを離れた弟子を、また教会迫害の過去をもつパウロを、使徒として神が用いた道筋が記される。だから本日の聖書の箇所にあっても「船出のときには、わたしたちには必要なものを持ってきてくれた」と記されても「わたしたちには望むもの」あるいは「欲するもの」とは決して記されない。必要なものは神自らが見極める。今必要なものに足りていても、欲する思いは足ることを知らない。その思いが余って、必要なものに事欠く人々への眼差しが塞がれてしまうことも充分あり得る。使徒言行録の物語に我が身を投げ込んでまいりますと、懸命に遭難者の救助にあたってはいても、大局的な展望を忘れ、パウロの腕に絡みつく蝮一匹で右往左往するような者であると気づく。
 パウロはテサロニケの信徒への手紙Ⅰの5章で「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」と記す。私たちは時折この言葉に違和感を覚える。文体が勧めではなく命令になっているところだ。実はこのわざが困難だからこそパウロは書き記したのではなかろうか。パウロは『ローマの信徒への手紙』5章で明確に信仰義認論を展開する。その一方で『ヤコブの手紙』では「行いを欠いた信仰は死んだもの」とも記される。信仰と行い。両者を結ぶ必要にして最大のわざは何か。それは十字架の主、クリスマスの主であるイエス・キリストを仰ぐことだ。そのときにこそ、折に触れて訪れる節目としての人生の船出に何が必要なのかが必ず示される。

2016年11月13日日曜日

2016年11月13日「こどもたちと神さまの恵みを分かち合う暮し」稲山聖修牧師

聖書箇所:ヨハネによる福音書6章1~10節

 ヨハネによる福音書では、主イエスがティベリアス湖の向こう岸に渡られたとある。ティベリアスとはローマ帝国の第二代皇帝ティベリウスに由来する。この記事からは、ヨハネによる福音書が記された時代には、ガリラヤ地方にはローマ帝国の圧力が増し人々の苦しみは他の福音書にも増して不自由であったことが想像できる。その中で主イエスは弟子のフィリポに「この人たちを食べさせるにはどこでパンを買えばよいだろうか」と問う。ヨハネの書き手はこの問いがフィリポを試みるためであったと記す。
 問題は「買う」という言葉。食べさせるために今日でいう市場原理の中で用いられる物差しをもって弟子に問いかける。フィリポは「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」と答える。当時の日雇い労働者の日当は一デナリオン。今では8,000円から10,000円と見なすべきだろう。このため息交じりの言葉は、もしお金で人々を満たそうとするならば無理だと弟子に言わせているとも読み取れる。
 次にアンデレが「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます」と口を挟む。少年は食事の問題で困っている弟子たちに、無心で自分の弁当、あるいは自分の家族の弁当を差し出したのかも知れない。ガリラヤ周辺の人々は所用で出かける際には食事を持参することは珍しくなかった。アンデレは少年の無垢な好意を差し置いて呟く。「けれども、こんな大勢の人では、何の役にも立たないでしょう」。
 主イエスは少年が献げたパンを取り「感謝の祈りを唱えてから、分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた」。主イエスは食事を少年から買ったのではなくて、献げようとしたその無垢で素朴な思いを受けとめ、不平ではなく神への感謝とともに群衆に惜しみなく分け与えた。その結果12の籠は残ったパン屑で一杯になった。12人の弟子たち・新たなイスラエルたる教会もまたその恵みによって満たされた。本日は幼児祝福式を執行する。激しい格差社会にありながら全てのこどもたちが満たされるための証しのわざが教会には求められている。神さまの恵みを分かち合う暮しがそこにある。

2016年11月6日日曜日

2016年11月06日永眠者記念礼拝説教「ラザロの家族とともに」稲山聖修牧師

聖書箇所:ヨハネによる福音書11章28~37節

ヨブの呻きや悲しみは、人には当事者しか立ち入ることのできない傷みを示す。その理由を問わず大切な人を失った悲しみを癒す手立てを人のわざとして私たちは知らない。その厳粛な事実を踏まえながらの「ラザロの死と復活」の物語。ラザロの地には主イエスへの憎悪が渦巻いていた。決死の覚悟のもと、一行はラザロの姉妹マルタのもとを尋ねます。マルタは世の終末の復活信仰に立つ女性であった。イエスをメシアだと告白していた。そのマルタともにマリアはイエスのおられる所に来て「主よ、もしここにいてくださいましたなら、わたしの兄弟はしななかったでしょうに」と涙を流す。私たちの言葉には破れが伴う。人の言葉になった途端神の国への確信やイエスがメシアであるとの信仰告白も悲しみを癒すには充分ではない主イエスもこの場に臨んで、所謂平常心を保ち得なかった。「イエスは涙を流された」。「盲人の目を開けたこの人も、ラザロが死なないようにはできなかったのか」との言葉もラザロへの悼みの言葉としての陰を帯びていく。
墓地への途上マルタは「主よ、四日も経っていますから、もう臭います」と、その死が揺るがぬ事実であると伝える。身体は朽ちていく最中。けれどもこの箇所で、イエスはマルタが終末信仰への確信を語っていたことを繰り返す。「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」。身体と同じく人の抱く悲しみもいずれ終わりを迎える。創造主なる神の栄光を見たくはないのか。「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。わたしの願いをいつも聴いてくださることを私は知っています。しかし、わたしがこう言うのは、周りに居る群衆のためです。あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです」。主イエスの祈りは願いではない。神への感謝と確信から始まる。それがラザロの復活の宣言となる。
主イエスキリストに示された神の力が私たちに示されたとき、いかなる苦しみも悲しみも全て癒され、涙も拭われ、全てが新たにされる。ヨブの苦しみも悼みも癒され、助け主なる聖霊は私たちの背中を押してくださる。老若を問わず、私たちの目からみれば亡くなったと見なされる、眠りについた方々は、今なお主のみもとで、わたしたちを励ます。ゆえに永眠者記念礼拝は召天者記念礼拝との面を併せ持つ。天に召されていよいよ力を増す私たちの家族、動労者、兄弟姉妹。イエス・キリストを仰ぐとき、私たちもラザロの家族と同じように深い癒しと希望に基づいた確信を授かるのだ。

2016年10月30日日曜日

2016年10月30日「座礁の先にある出来事」稲山聖修牧師

聖書箇所:使徒言行録27章39~44節

二週間漂流していたパウロを乗せた船は、いよいよ陸地を見つけ上陸する。目途がついた船員達は上陸する岸を思い巡らせる。「朝になって、どの陸地であるか分らなかったが、砂浜のある入り江を見つけたので、できることなら、そこへ船を乗り入れようということになった」。先ほどは乗り捨てて逃げようとした船との関わりを、船員らは絶ちきれずにいた。「そこで、錨を切り離して海に捨て、同時に舵の綱を解き、風に船首の帆を上げて、砂浜に向かって進んだ」。うまく行けば、砂浜に乗り上げ、船を修理することが可能だ。けれども実際は「深みには挟まれた浅瀬にぶつかって船を乗り上げてしまい、船首がめり込んで動かなくなり、船尾は激しい波で壊れだした」。船尾が壊れだしたということは船が完全に破壊されてしまう。
 兵士らは囚人たちが泳いで逃げないように殺そうと計った、とある。兵士の囚人への対応としては実にマニュアル通り。けれども人の内面は誰にも推し量れない面がある。本人にさえ分らない秘義としての面がある。「百人隊長はパウロを助けたいと思ったので、この計画を思いとどまらせた」。皇帝直属部隊の百人隊長ユリウスは、パウロが「死刑や投獄に当たるようなことは何もしていない」ことを職責上知っていた。クレタ島から吹き下ろす暴風「エウラキロン」に襲われる前に、人に委ねない判断に基づいて出航を見合わせた方がよいとのパウロの進言はベテランの船長の経験則に勝る鋭さがあった。パウロはユリウスに船旅の間中使徒としての証しをした。その証しは、パウロとユリウスの間に類を見ない信頼に基づいた交わりを育むこととなる。護送されている囚人が逃げ出したとしても、パウロの身の上だけは何としても助けたい。そのためにユリウスは命令する。「泳げる者がまず飛び込んで陸に上がり、残りの者は板きれや船の乗組員につかまって泳いでいくように」。ユリウスは泳ぎの苦手な者にいたるまでの配慮を含み入れ命令を下す。このようにして全員が無事上陸したと27章は締めくくられる。「船」には箱舟物語以降、聖書では混沌とした世の波の中で人々が救いあげられる場としてのイメージが加えられる。それは新約聖書にあっては教会の役割に重なるが、これほどまでに徹底的に船が壊れる場面は稀。私たち各々が主にある交わりの中で日々新たにされていくように、教会もまた波風猛るこの世の中で絶えずリフォームされていく宗教改革のメッセージと本日の箇所は重なる。壊れることにより船はその使命を果たしたのである。
 

2016年10月23日日曜日

2016年10月23日「心に沁み入るキリストの味」稲山聖修牧師

聖書箇所:使徒言行録27章27~38節

 聖書で船が活躍する物語といえばノアの箱舟物語。何度読み返してもあの安定感はただものではない。反面新約聖書で描かれる船は箱舟に較べれば余りにも不安定。本日の聖書箇所では暴風の吹きすさぶ中船は沈むかどうかの瀬戸際に立つ。海難事故の場合生き残る人は極端に少ない。二週間もの漂流の間、飲み水さえ雨水以外には頼りにならない。しかし船員は冷静だ。「真夜中ごろ船員達は、どこかの陸地に近づいているように感じた。そこで、水の深さを測ってみると、20オルギアであることが分った」。船が航行するに充分な深さ。船尾から錨を四つ投げ込み、夜明けを待ちわびた。しかし夜明けの後船員の意図が露見する。「ところが、船員達は船から逃げ出そうとし、選手から錨を降ろすふりをして小舟を海に降ろしたので、パウロは百人隊長と兵士たちに『あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたは助からない』と言った」。百人隊長と兵士達は「綱を経ちきって、小舟を流れるにまかせた」。百人隊長は、今度はパウロを信頼し敢えて退路を断った。
 極限の消耗の中、朝の光とともにパウロは一同に食事を勧める。食を分かち合う愛餐といのちに関わる聖餐が見事に融合する。船とは古代教会では教会を象徴するシンボル。船員全てがキリスト者かは分らない。しかしパウロの言葉を受けとめる決断のもと、いのちが神からの授かりものであると受けとめパンを分かち合う。コリントの信徒への手紙Ⅰ.11章27節以降では「従って、ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を呑んだりする者は、主の身体と血に対して罪を犯すことになります。だれでも、自分をよく確かめたうえで、そのパンを食べ、その杯から飲むべきであります。主の身体のことをわきまえずに飲み食いする者は、自分自身に対する裁きを飲み食いしているのです。そのために、あなたがたの間に弱いものや病人がたくさんおり、多くの者が死んだのです」とある。
日本基督教団でのオープン聖餐・クローズド聖餐の議論。しかし神の恵みはその枠には収まらない。日本基督教団が重視している式文を尊重するならば結論は明らかとなろう。教会の秩序を守りながら教会のあり方を閉ざさない聖餐式。絶望にあった船員達は、逃げだそうとした船員達は、一同元気づいて食事をした。主イエスの血肉を分かち合い、聖霊の注ぎを授かる。暴風は神の力となり、パウロも含む乗組員や混乱から救う。慎重に教会の足もとを固め、大胆に扉を開けたく願う。

2016年10月16日日曜日

2016年10月16日「誰一人いのちを失わず」稲山聖修牧師

聖書箇所:使徒言行録27章13~26節

時にパウロは自らの苦しみを正直に記す。コリントの信徒への手紙Ⅱには「キリストに仕える者なのか。気が変になったように言いますが、わたしは彼ら以上にそうなのです。苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度、一昼夜海上に漂ったこともありました。しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、街での難、荒野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫る厄介事、あらゆる教会についての心配事があります」とある。苦しみつつパウロはキリストの恵みの証しに全てを賭ける。
 使徒言行録27章13~26節では、百人隊長がパウロの警告よりも船長や船主を信用した結果、クレタ島のフェニクス港に停泊し、三ヶ月に及ぶ越冬の備えをするところから始まる。船は錨を上げクレタ島の岸に沿って進む。ところがクレタ島から吹き下ろす暴風「エウラキロン」が襲う。風に逆らって進められなくなった船は流されるまま。錨を降ろしてやりすごすことに決めたのにも拘わらず暴風は止まない。人々は積み荷を海に捨て始め、三日目には船具までも海に投げ捨ててしまう。
しかし手紙では長々と苦難を訴えたパウロは、使徒言行録では凜としている。「皆さん、わたしの言ったとおりに、クレタ島から船出していなければ、こんな危険や損失を避けられたに違いありません」。しかしパウロは人々を責めない。今朝の箇所では「元気を出しなさい」と言う言葉が二度繰り返される。その根拠は何か。それは、人命を超えたパウロならではの展望にあったといえる。『あなたは皇帝の前に出頭しなければならない』。この展望あればこそパウロは誰一人いのちを失うことはないとパウロは語り得た。
パウロの苦しみを吐露のまとめにあたるコリントの信徒への手紙Ⅱ.11章29節には次のようにある。「誰かが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか」。パウロの苦しみの吐露は聖霊の注ぎへと繋がる。世の流れ渦巻くときにこそ、私たちもキリストを仰ぎつつ展望と大志を主なる神から授かるのだ。

2016年10月9日日曜日

2016年10月9日「子どもたちを私のところに来させなさい」牛田匡神学生

聖書箇所:マルコ10章13~16節

 イエス様は行く先々でその地の人々に語りかけておられましたが、ある時子どもたちを祝福してもらおうと思って、連れて来た人々がいました。しかし、弟子たちはその人々を叱りました。恐らく彼らは当時の典型的なユダヤ人の感覚、価値観として、「イエス様は大忙しでお疲れだし、子どもなんかの相手をしているヒマはないよ」ということで、追い払おうとしたのでしょう。しかし、イエス様はそのような弟子たちに対して憤られました。そして言われました。「子どもたちを私のところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」(マルコ10:14)。更にその「子どもたちを抱き上げ、手を置いて祝福され」(10:16)ました。そこに、当時の社会の中では一人前として扱われず、舞台の真ん中には立たせてもらえなかった子どもたちを、掛け替えのない存在として、向き合われたイエス様の「愛のまなざし」を感じることができます。
 ひるがえって、現代の私たちの周りの「子どもたち」とは、一体どこの誰のことでしょうか。もちろん各家庭や保育園の中にいる子どもたちもそうでしょうし、高齢であったり病気や障がいを抱えていたり、また失業中であったりして、周りから一人前の存在、価値のある存在として見なされていない人たちもそうでしょう。「子どもたちを私のところに来させなさい。妨げてはならない」、この言葉は子どもたちを妨げた弟子たち、そして今「一人前の大人」として立っている私たちへの戒めの言葉であると同時に、弱く小さくされている「子どもたち」を御許へと招く力強い主イエスのお言葉でした。
 そして私たちもまた、時には疲れ、つまずき、倒れます。私たちも「子どもたち」だと気付かされる時もあります。しかし、そのような「子どもたち」をこそ、主イエス・キリストは御許へと招き、抱き上げ祝福して下さるのです。
 世界中の全てのものが、神様によって創られ、生かされています。「子どもたちを私のところに来させなさい」。今も尚生きておられる主イエス・キリストが今日も私たちを招き、導き、背中を押して下さっています。ですから私たちは安心して、神の子として創られて与えられている命を、イエス様の後に従う者として、生かされていくだけです。それがこの地上を「神の国」と変えていくことであり、「神の国に入る」ということなのです。

2016年10月2日日曜日

2016年10月2日「激しい逆風を用いて」稲山聖修牧師

聖書箇所:使徒言行録27章1~12節

パウロを乗せた船は東地中海に面したパレスチナの港湾都市シドンから出たが、向かい風のためキプロス島の陰を航行し、現在のトルコの南の沖を過ぎて、リキア州のミラに着いたと記される。このミラという都市は港から2・3キロ奥まったところだというからパウロを乗せた船はミラから数キロ離れた港に入ったと考えられる。不思議なことに囚人の護送という、厳重に管理されなければならないはずの動きが実に行き当たりばったりだ。6節では、「ここで百人隊長は、イタリア行きのアレクサンドリアの船を見つけて、わたしたちをそれに乗り込ませた」とある。囚人の護送であっても、それが皇帝の名によるものであっても、大自然の力には勝てない。「幾日もの間、船足ははかどらず、ようやくクニドス港に近づいた。ところが、風に行く手を阻まれたので、サルモネ岬を通ってクレタ島の陰を航行し、ようやく島の岸に沿って進み、ラサヤの町に近い「良い港」と呼ばれるところに着いた、とある。人々の歩みは現代に比べて柔軟性に富み、なおかつ車のハンドルでいう遊びの部分を必ず残す。使徒言行録の人々は自然を前にしての人の弱さを心底知っているからかもしれない。
 この遊びの部分について、近代を経た私たち日本に暮らす民は考え直す必要があるのではないか。かつてベオグラードに滞在したとき、家内が少年のスリに遭った。先方には無防備な外国人に映ったのかもしれない。振り返ると、少年を守るために大人たちが円陣を組んでいた。民族的にはロマと呼ばれる人々。だが不思議にも怒りは湧いてこなかった。今なお様々な差別を受け、貧困の中に暮らすロマの人々が外国人相手のスリを生業としたところで、誰が非難できるだろうか。むしろセルビアの苦難に満ちた歴史を思うと極貧にありながら、よくもまあ生きているものだと感心さえした。日本人が同じ環境に置かれたら果たして生きていけるだろうか。ときに観光地となる西ヨーロッパの教会に比べ、東方正教会・セルビア正教会では御国を来たらせ給えとの切実な祈りが献げられていた。
聖日礼拝への出席は、逆風の中で変更を余儀なくされる日常に秘められた主のみむねに信頼を寄せること。計画のごり押しは時に排除をもたらす。ナチはロマを虐殺した。今日は世界聖餐日。パウロも旅の中でパンを裂いて祈る。国のない人々とも、私たちは繋がっていることに感謝したい。

2016年9月25日日曜日

2016年9月25日「何が正しく何が間違っているのか」稲山聖修牧師

聖書箇所:使徒言行録26章24~32節

獄中で二年以上の歳月が経過する中、パウロはローマ市民として最大限の権利を行使する。それは皇帝への上訴。自らの身の潔白の証明を通じて全ての人にイエス・キリストは主であると伝えようとする。パウロには身の潔白などどうでもよい。皇帝と連なる人々に福音を伝えるのが究極的な関心である。
実のところ他の使徒はパウロがエルサレムで身柄を拘束されてからパウロを庇うなど一切していない。その意味ではパウロは一人であった。しかしそれは孤独を意味しない。なぜなら獄中にも新たな交わりを育む力を主イエス・キリストは注いでいるからだ。「フェストゥスは大声で言った。『パウロ、お前は頭がおかしい。学問のしすぎでおかしくなったのだ』。パウロは時の総督フェストゥスから頭がおかしいと罵倒される。この箇所に私たちはマルコ福音書にある、気が変になっているとの噂から身内に取り押さえられようとした主イエスを重ねる。
キリスト者は善悪の基準を世のそれとは別の所から授かっている。フィリピの信徒への手紙でパウロは語る。「キリストを宣べ伝えるのに、ねたみと争いの念にかられてする者もいれば、善意でする者もいます。一方は、わたしが福音を弁明するために捕われているのを知って、愛の動機から、そうするのですが、他方は、自分の利益を求めて、獄中のわたしをいっそう苦しめようという不純な動機からキリストを告げ知らせているのです。だが、それがなんであろう」。
 だがそれがなんであろう!本日の箇所で問われているのはパウロを見捨てるようにして離れていったエルサレムの使徒のあり方でもある。けれどもパウロが仰いでいるのは人ではない。その身に焼き印を帯びているとガラテヤ書で語ったイエス・キリストである。
 それがなんであろう!と聖書は私たちに問いかける。様々な交わりを通して主は人を用いる。病の床に伏せっていてもそこは主が派遣された場所。イエス・キリストを通して私たちはどこにあっても交わりに置かれている。ねたみや争いでさえイエス・キリストは主にある交わりに変えてしまう。行き詰まったとき、私たちは己にイエスの焼き印を見出したい。そのしるしから、全く新しい神の国につながる展望が開かれる。イエスの焼き印を身に帯びた者として新たな一週間、私たちは各々の暮しの場へと遣わされていくのだ。

2016年9月11日日曜日

2016年9月11日「権力を震えあがらせた神の言葉」稲山聖修牧師

聖書箇所:使徒言行録24章24~27節

 総督という役職はローマ皇帝の代官として、その支配を領土隅々にまで行き渡らせる絶大な権力を誇った。しかしその権力は重大な責任をローマ皇帝に負っていた。勇敢な総督とは稀で、実のところは前例のない事柄には拘わりたくないというのが本音であったろう。
 その典型的な例が総督ピラトの振る舞い。福音書でピラトは主イエスの潔白を知っていたが、その事実の前にユダヤの民が暴動を起こす可能性を恐れていた。暴動の勃発は今でいう管理運営能力の欠如を意味する。皇帝からの評価を下げるだけでなく、いのちすら奪われかねなかった。だからこそピラトは自らが下すべき判断を過越の祭の恩赦に転嫁し、群衆の前で手を洗ったりした。実に虚しい営み。この振る舞いの果てに、使徒信条の中でピラトは主イエスを苦しめた責任者として名を刻まれることとなった。
 総督フェリクスがピラトと異なる点はユダヤ人の女性ドルシラを伴侶としたこと。それはフェリクスがユダヤ教をより自らに引き寄せて考えていた可能性を導く。ゆえにこの総督はドルシラを通してパウロを呼びキリスト・イエスの信仰を尋ねた。パウロは大胆に神の正義、主にある節制、そして世の完成におけるところの主の審判について語った。その教えはフェリクスに恐怖の念を抱かせた。「今回はこれで帰ってよろしい。また適当な機会に呼び出すことにする」。続いてフェリクスは「パウロから金をもらおうとする下心もあったので、度々呼び出しては話し合っていた」。むしろ鍵は「度々話し合っていた」である。これにはドルシラの後押しが大きかったろう。宮廷にあっても女性の地位は男性より低い。他方で新約聖書では女性が縦横無尽の働きと活躍を見せる。例えばマリアは、主イエスの誕生を受けて讃美を歌うが、その言葉には救い主の訪れの前での世の力の無力化が歌われる。初代教会の終末論的な讃美にフェリクスは聞く耳を持っていたからこそ、その恐ろしさに震えあがった。問題はその後。パウロと同じくイエスの焼き印を、フェリクスが身に帯びるかどうか。これがフェリクスに課せられた課題であり、その課題の行方をドルシラは見届ける。世の力に翻弄されながらも、厚い雲から差し込む光や乾いた大地を潤す雨のような主の恵みに包まれた私たち。その恵みに応じつつ新しい一週間を踏みだそう。

2016年9月4日日曜日

2016年9月4日「囚われの身にある自由」稲山聖修牧師

聖書箇所:使徒言行録24章10~23節

 パウロを暗殺者から守るため千人隊長が護送するための備えは百人隊長二名。歩兵二百名、騎兵七十名、補充兵二百名。併せて四七〇名の部隊を編成する。いのちの危機に晒されている一ローマ市民を守るには、千人隊長としてこれだけの備えをするのが務め。加えて千人隊長の記した手紙にはその時代の総督の名が記される。それはピラトではなくフェリクス。手紙通りに兵士たちは「皇帝の街」との意味をもつカイザリアまでパウロを護送する。物語の舞台はエルサレムではなく、ローマ帝国の植民都市カイザリア。この街はユダヤ人の情念からは自由であり、神の前に世の力が公正に振る舞えるかが試される。大祭司とてこの街では権力を思うままに振るえない。24章の2節から4節までは、その時代のローマの総督が、その支配地において権力が絶大だったことがよく分かる。その上での今朝の話。
 「実は、この男は疫病のような人間で、世界中のユダヤ人の間に騒動を引き起こしている者、『ナザレ人の分派』の主謀者である」との訴え。当時初代教会が、ユダヤ教徒やキリスト教とは直接接点のない人々からどのように観られていたかが分る。『ナザレ人の分派』とはナザレのイエスの分派を意味する。この箇所で一層気づかされるべきは、ローマ市民でも公に権威を認められた者でもなく富裕層でもないかたちを救い主は纏っていた事実。大祭司アナニアとは異なりパウロには弁明の機会が赦される。10節からのパウロの弁明に則せば、礼拝のためエルサレムに上ってから12日しか立っていない。この間どこにあっても、私が論争したり群衆を扇動したりするのを観た者はいない。更に告発の件に証拠を挙げている者は誰もいない。つまりパウロはローマの法律の前には潔白なのだ。
 このゆえに総督は次のような留保をする。それはピラトの二の舞をしないように、決断を直ちに下さず「千人隊長がカイザリアに到着するまで、裁判を延期する」。さらにパウロの監禁を百人隊長に命じた。それはパウロを暗殺者から保護するため。だからこそ自由を与え、友人たちが彼の世話をするのを妨げないようにする。つまり総督公認の下パウロは使徒としての活動が保証された。囚われの身に己をやつして、パウロは千載一遇の機会を神さまから授かった。イエスの焼印を押されたパウロにはいつも平安と自由があった。この平安に私たちも立つのである。

2016年8月28日日曜日

2016年8月28日「光は混乱に打ち勝つ」稲山聖修牧師

聖書箇所:使徒言行録23章12~22節

 「その夜、主はパウロのそばに立って言われた。勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しを立てなければならない」。聖霊はパウロの勇気をそそぎ、目の前に立ちはだかる壁を突破する力を備える。その壁とはパウロを暗殺するという謀をもつ集団である。それは「陰謀を企み、パウロを殺すまでは飲み食いしないという誓いを立てた」とあるように、万策を尽してパウロを陥れ、命を奪うという練りに練られた計画性をもつ。表舞台でパウロを排除できなかった人々が、祭司長や長老らという権力者達と、今度は闇の中で破壊的な事柄を綿密に計画する。
私たちは、ここでパウロが主イエスと出会う前に師と仰いだ律法の教師ガマリエルを思い出すべきだ。ガマリエルは語る。「あの者達から手を引きなさい。ほうっておくがよい。あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たのであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ」。
 神に逆らう者のたくらみがあるならば、主なる神は必ず逃れの道を備える。旧約聖書では御使いが現れ、主のみ旨に従おうとする者に道を備えてきた。本日の箇所でも御使いのような働きを担う若者が描かれる。その素性は「パウロの姉妹の子」という匿名で記されるだけだ。この若者の働きを通して、パウロは謀を知り先手を打つ。その道筋で、百人隊長と千人隊長がパウロの命を守る。千人隊長にもパウロ暗殺の知らせは心外であったろう。自らの謀を成就させるために、ローマ帝国の千人隊長を手段として利用する動きがあったからだ。
しかし、いのちを殺めたり害したりする事柄にのみ執念を燃やす人々の怨念は決して目的を果たすことはできない。逆にいえばイエス・キリストのゆえに困難に遭う者には、必ず逃れの道が備えられるとの使徒言行録の書き手の確信が記されているともいえる。逃れの道とて安易な道ではない。それゆえに逃れの道が祝福され、新しい信仰の道となると聖書は語る。族長物語も出エジプト記も逃れの物語。イエス・キリストに示された救いの光は、必ずや人の混乱に打ち勝つ。だから私たちは自分を追い詰める必要はない。必ず神は道を備えてくださる。それは争いに満ちた今の世界にも広がる道である。

2016年8月14日日曜日

2016年8月14日 「神から授かる知略と勇気」稲山聖修牧師

聖書箇所:使徒言行録23章1~11節

 使徒言行録の世界で古代ユダヤ教を代表する群れ。エルサレムの神殿に根を降ろす祭司階級サドカイ派の聖書の読み方は、自らの財産を守るため戒めを破らずに済む道筋を探す。復活はサドカイ派には邪魔である。他方ファリサイ派は復活も天使も神の力である霊も認める。彼らは民衆に可能な限り寄り添い、会堂で聖書のメッセージを伝えようと励んだ。この違いが囚われのパウロの活路となる。
 パウロの身柄を預かる千人隊長はその鎖を外し祭司長と最高法院の招集を命じる。人の目からすればたった一人のパウロの姿勢が千人隊長を動かし、対話のときを備えた。「兄弟たち、わたしは今日に至るまで、あくまでも良心に従って生きてきました」。使徒言行録では、神と切り離された良心はない。パウロは戒めを破らずキリストの道に従ったと赤裸々に告白する。これによって最高法院に亀裂が生まれる。モーセの戒めを破らずに既得権益を守るべく汲々とする人々へのファリサイ派の葛藤をパウロは突く。その結果ファリサイ派の人々はパウロの味方につく。更には今までパウロの身柄を拘束したローマ帝国の力が、パウロを保護する逆転が生じる。敵対者が味方となりパウロの楯となる。
 この実に劇的な箇所で思い起こされるのは主イエスが語った「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい」との言葉。その教えは関わる相手によって態度を変えなさい、とか、教会の内と外で立ち振る舞う行動原理を変えなさいという浅薄なものではない。蛇はエジプトからギリシアにいたるまで知恵を象徴する動物。そして鳩が示すのは平和を目指す聖霊の力。素直な心、繊細な心、痛む心が鋭い洞察力となり、世に各々遣わされた場で主にある兄弟姉妹を守るとの確信が記されている。「主を畏れることは知恵の初め」との旧約聖書の言葉を主イエスは大胆に解き明かした。そしてこの知恵を用いてパウロは危機を脱した。本日はポツダム宣言受諾の前日。大阪・京橋での空襲では大人もこどもも大勢が殺された。地方都市にいたるまで丸焼けにされた挙げ句の果てに本土での戦は沖縄を除いて避けられた。精神論を振りかざせば戦に勝てるなど愚の骨頂。同じ轍を踏まないよう、主を畏れる知恵を祈りつつ各々授かり、道を開拓したい。

2016年8月7日日曜日

2016年8月7日「神の言葉はつながれていない」稲山聖修牧師

聖書箇所:マタイによる福音書28章11~20節

 イエス・キリストの復活の書き手は、同時に抹殺を試みた人々に生じた慄きと混乱を記す。さらに復活を疑う弟子たちもいたと述べる。その描写が却って主の復活を強烈に印象づける。御使いが主イエスの復活を告げるとともに、急いでガリラヤへ行けと命ぜられた女性は、懸命の思いで託された務めを果たす。その最中、手練手管を用いた祭司長たちは番兵からの報告に愕然とする。祭司長と長老は兵士に口止め料を握らせるが、このわざ自体が祭司長や長老には真実が宿っていないことを証しする。さらには夜中にイエスの亡骸が盗まれたと吹聴するが、実のところ弟子は概して小心者であり、そのような振る舞いに及ぶはずもない。
 世の権力の破れを明らかにしつつ、物語の書き手は、その眼差しをガリラヤに赴いた弟子に向ける。興味深いことに復活を疑う弟子たちも、イエスがお示しになった山へと登っているのが愛らしい。そして物語は疑いによって耕され深められる主イエスとの絆を描く。世の権力は主イエスの前には取るに足らない。だからこそ、「すべての民をわたしの弟子にせよ」との、あらゆる不正な力に対する勝利者キリストの言葉が記される。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」。
ところで本日の聖書とともに、テモテへの手紙2章9節「この福音のためにわたしは苦しみを受け、ついに犯罪人のように鎖につながれています。しかし、神の言葉はつながれていません」との言葉を受けて、バルメン宣言の最後のテーゼは語る。「教会の自由の基礎でもある教会への委託は、キリストが天に昇られた後に、キリストの代理として、キリストご自身の御言葉とみわざに説教とサクラメントによって奉仕しつつ、神の自由な恵みの使信を、全ての人に伝えるということである。教会が、人間的な自立性において、主の御言葉とみわざを、自力によって選ばれた何かの願望や目的や計画に奉仕せしめるというような誤った教えを、我々は退ける」。
 戦後71年の平和聖日。かの時代の闇は決して私たちの日常からは消え去ってはいない。だからこそ私たちは世の光としての輝きを一層増していく。何者にもつながれない神の言葉は、次世代への最大遺物として主の平和を備える。どのような惨い仕方で眠りについた人も終末には目覚め私たちと食卓をともにする。これが私たちの希望だ。

2016年7月31日日曜日

2016年7月31日「キリストに従う喜びと平和」稲山聖修牧師

聖書箇所:マルコによる福音書10章17~22節

 「富める若者」として知られる物語。実のところ富んでいるか否かとの問題は相対的であり、キリストに従うか否かという絶対的な問いが重要。青年の抱えた課題は「神おひとりのほかに、善い者はだれもいない」という主イエスが証しした道に気づかなかった点。そして単なる律法学者の教師と見なし、イエスに「善い先生」と呼びかける他なかった点。優秀な律法学者になるには多くの資産が必要だった。主イエスに従えなかったのはその富が神とは無縁だったからかもしれない。弟子たちは全てを捨てて主に従った。貧しくなること自体に意味はない。キリストに従った結果がどうであれ、神の国の喜びの証人として従うことに尊さがある。この服従への勇気が青年にはなかった。
 バルメン宣言第5項の冒頭には、ペトロの手紙Ⅰ.2章17節が記される。「神を畏れ、皇帝を敬いなさい」。皇帝という地上の富と権力を委ねられた者よりも、先に畏怖しなければならない方がいる。それは主なる神である。究極的にいのちの采配を握るお方は皇帝ではなく神。究極は神であり皇帝は究極以前の事柄。この前提に立ち、次の文章が記される。「国家は、教会もその中にある、未だ救われない世にあって、人間の洞察と能力の量りに従って暴力と威嚇の行使をなしつつ、法と平和のために配慮するとの課題を神の定めによって与えられていることを、聖書はわれわれに語る」。バルメン宣言は絶対平和主義には立たない。あくまで「暴力と威嚇」は、法を遵守し平和のために用いられるとの条件においてのみ赦される。続く文章は「教会は、このような神の定めの恩恵を、神に対する感謝と畏敬の中に承認する」。次には「教会は、神の国を、また神の戒めと義を思い出し、その結果、統治する者と、統治される者との責任を思い出す」。統治者を神格化するのではなく、神の国と戒めと義によって制約した上で、統治する者とされる者に責任を想起させるのが教会の役目。「教会は、一切のものを支える御言葉の力に信頼し、服従する」。教会が国家に従うのは、国家が神の国と戒めと義と関わる場合に限られる。
 神に創造され、主イエスに導かれ、聖霊に活かされる私たちは、いのちが人の造り上げた政府より必ず上位に立つことを平和裏に承認する。「生きるに値しないいのち」を決める資格など誰にもないのだ。

2016年7月24日日曜日

2016年7月24日「奉仕は神を讃えるわざ」稲山聖修牧師

聖書箇所:マタイによる福音書20章20~28節

 今朝の聖書の箇所はイエスの弟子たちの上昇志向を描く。「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人はあなたの左に座れるとおっしゃってください」とのゼベダイの母。主イエスの答えは「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか」。このやり取りによって弟子の間に軋みと不協和音が響く。為政者はこの情念を用いて組織を造りあげる。強引さのない者や遠回りの道や険しい道を選ぶ者は嘲笑される。しかし主イエスは語る。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうあってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい人は、皆に仕える者となり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように」。「仕える者」とはδιακονος、奉仕を意味するディアコニアとの関わりで理解される言葉であり、「僕」とはδουλος、奴隷という意味。支配と権力からは対極にある在り方。それがキリストに従う道。
 バルメン宣言第四条項には「教会にさまざまな職位があるということは、ある人々が他の人々を支配する根拠にはならない。それは、教会全体に委ねられ命ぜられた奉仕を行うための根拠である。教会が、この奉仕を離れて、支配権を与えられた特別の指導者をもったり、与えられたりすることができるとか、そのようなことをしてもよいとかというような誤った教えをわれわれは退ける」とある。教会は支配の道具にはならない。あくまでも教会は他者に仕え、世を立ち返らせるために世に仕える。
 神への奉仕は神礼拝であり神讃美のわざである。私たちには各々世に活かされた者としての賜物がある。その賜物を用いて主を証しすることが、その場その場におけるところの奉仕であり、讃美であり、喜びである。老若性別・生まれながらの特性は問われない。奉仕は神を讃えるわざ。仕えること、僕となること。キリストに従う道がここに開かれている。

2016年7月17日日曜日

2016年7月17日「愛に根ざした真理は揺るがず」稲山聖修牧師

聖書箇所:エフェソの信徒への手紙 4章7~16節

 バルメン宣言第三項は次のように語る。「キリスト教会は、イエス・キリストが、御言葉とサクラメントにおいて、聖霊によって、主として、今も働いておられる兄弟たちの共同体である。教会は、その服従によっても、その信仰によっても、その秩序によっても、またその使信によっても、罪のこの世にあって、恵みを受けた罪人の教会として、自分がただイエス・キリストの所有であり、ただその慰めと導きとによってだけ、その再臨を待ち望みつつ、生きていること、生きたいと願っていることを証ししなければならない」。
 私たちが一歩この世に踏み出せば、排除の論理がまかり通る。その論理の背景には、人を人物ではなく人材としてのみ見なす理解がある。他方で聖書の世界では、排除の論理とは真逆の尺度を突きつける箇所にぶつかる。マタイによる福音書20章のぶどう園の労働者のたとえがそうだ。雇用時間に拘わらず手当は1デナリオン。ぶどう園の主人の力は絶対だが、主人は雇用した労働者を友と呼ぶ。このような就労環境は実際にはあるはずもなく、礼拝に集う私たちでさえおとぎ話のように聞こえる。それは私たちもまた排除を前提にしなければ物事を整理できない罪人だからだ。
 このぶどう園の労働者のたとえを重んじた教会が執り行うサクラメントは決して能力や実績に応じて意味づけられはしない。究極のサクラメントである主イエス・キリストは、罪人の私たちをひとつの食卓に招く。そこには命令ではなく奉仕と喜びがある。いかなる世にあっても神の愛に根ざした真理は揺らぐことはない。
 だからこそ、教会がそのメッセージやその秩序の形を、キリストと切り離されたところで、人の群れしか見えない眼差しで、その好むところに任せて良いとか、その時々に支配的な世の見方を巡る確信は誤った教えであるから退けられなければならない。教会が払うべき配慮は、傷みや悲しみを分かち合う祈りであり、時流に阿ねることではない。エフェソの信徒への手紙は記す。「キリストにより、身体全体は、あらゆる節々が補う合うことによってしっかり組み合わされ、結びあわされて、各々の部分は分に応じて働いて身体を成長させ、自ら愛によって造り上げられていくのです」。神の愛によって教会は育まれる。その確信に立てば、世の何者も恐れる必要はないのだ。

2016年7月10日日曜日

2016年7月10日「神なき束縛からの解放」稲山聖修牧師

聖書箇所:コリントの信徒への手紙Ⅰ.1章30~31節

 近代国家では、神の支配より人の支配。奉仕より義務と命令。弱さを受け入れず徹底的に排除する容赦のないあり方が主流となってしまった。折り重なった歪みに蝕まれるのは教会とて例外ではない。神を仰げなくなったとき、人は必ず無神論に陥る。「神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです」。パウロの言葉が手紙に刻まれた背後には、この厳粛かつ重大な事柄が蔑ろにされた深い影が射す。
 「イエス・キリストは、われわれのすべての罪の赦しについての神の慰めであり、同じ厳粛さをもって、われわれの暮しの全てに対する神の力溢れる要求でもある。イエス・キリストによってわれわれは、この世の神無き束縛から脱して、神の被造物に向けた自由であり感謝に満ちた奉仕にたどり着く喜ばしい解放を与えられている」。バルメン宣言第2条項。世の恐怖は深くとも、キリストの愛には勝らない。これは初代教会の時代から変わらない教会の一貫した告白でもあった。全てを失った人々を慰め、癒し、励ますという主イエスのわざが何度も確かめられ、神の言葉は暮しの全てに対する神の力による要求でもある。
 近代国家の急激な経済発展は社会のひずみを伴う。そのひずみは、障碍者、心に病を抱えた人々、心と身体の性別が異なる人々、国に住まう外国人らを徹底的に排除する。
これは神ならぬ者によるいのちへの冒涜に留まらず、被造物への重大な挑戦としてバルメン宣言の起草者には映った。果たしてそれでよいのかと神の問いかけ。神の要請は、恐れることはないとの聖書の響きに身を委ねよと語る。その言葉は世の神なき束縛から私たちが脱して、被造物への自由かつ感謝に満ちた奉仕へと誘い、向きを変えさせる。それゆえ、イエス・キリストのものではなく、他の者に属する、私たちの暮らしがあるとか、イエス・キリストによる義認と聖化を必要としない領域があるというような誤った教えを私たちは退ける。日本のキリスト者は少数。数としては1パーセントに満たないからこそ、私たちは、人の孤独や悲しみが必ず神に愛されると確信する。時代に危機が迫るほど、教会は世の光としての役目をダイナミックに託される。主に従う道を各々整えていきたい。

2016年7月3日日曜日

2016年7月3日「よき羊飼いイエス・キリスト」稲山聖修牧師

聖書箇所:ヨハネによる福音書10章7~18節

ヨハネによる福音書10章で興味深いのは、主イエスが「わたしは良い羊飼いである」と語る前、羊たちは盗人や強盗の言うことを聞かなかったと、羊の鋭敏かつ繊細な特性について言及してするところである。これは一般に聞く家畜としての羊の特性とは異なる。困難な世にあってキリストに従い続けた群れの姿があった。
 今朝の聖書箇所はナチズムに抗する教会の結集軸となったバルメン宣言の第一条項「聖書においてわれわれに証しされているイエス・キリストは、われわれが聞くべき、またわれわれが生と死において信頼し服従すべき、神の唯一の御言葉である」の基となる聖句。この箇所で羊は神の言葉・主キリストを聞き分ける。今日でこそナチスとは悪の権化のように描かれるが「国家社会主義」との呼称を通すと、頼りがいある政党だと錯覚する。大不況の時代に当時は画期的であった公共事業を続々と興し、国の経済を立て直した業績が宣伝される。劣等感に苛まれる者ほど受容され・肯定された思いから国家のために励む。教会のこどもにもヒトラーユーゲントへの入団が要求される。マスメディアでは英雄のインタビューが花を添える。この「全てがうまく行っている」との陶酔感とは無縁のまま、冷静に行く末を見極めようとする羊がいた。
羊が眠らなかったのは、時代に抗う特別な能力のせいでない。それは「わたしは自分の羊を知っており、羊も私を知っている」という一点につきる。羊には実に多彩な特性がある。「わたしは羊のために命を捨てる」。羊に自己責任を要求する盗人や強盗とは異なり、よい羊飼いは身を挺してこの羊を守る。
初代教会の人々が仰ぎ見たのはよき羊飼い主イエス・キリストの姿であり、神なき権力と繁栄を背景に立つローマ皇帝ではなかった。「だれも、わたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である」。地上の国家の法を超えた力をもつ、主イエスの掟は羊たちのいのちを育むための掟。教会がその宣教の源として、神の唯一の言葉の他に、他の出来事や力、現象や真理を、神の啓示として受け入れられるとか、認めなければならないというような教えを退ける態度を示したその宣言の響きは、今なお止むことを知らない。

2016年7月3日「よき羊飼いイエス・キリスト」稲山聖修牧師

聖書箇所:ヨハネによる福音書10章7~18節

ヨハネによる福音書10章で興味深いのは、主イエスが「わたしは良い羊飼いである」と語る前、羊たちは盗人や強盗の言うことを聞かなかったと、羊の鋭敏かつ繊細な特性について言及してするところである。これは一般に聞く家畜としての羊の特性とは異なる。困難な世にあってキリストに従い続けた群れの姿があった。
 今朝の聖書箇所はナチズムに抗する教会の結集軸となったバルメン宣言の第一条項「聖書においてわれわれに証しされているイエス・キリストは、われわれが聞くべき、またわれわれが生と死において信頼し服従すべき、神の唯一の御言葉である」の基となる聖句。この箇所で羊は神の言葉・主キリストを聞き分ける。今日でこそナチスとは悪の権化のように描かれるが「国家社会主義」との呼称を通すと、頼りがいある政党だと錯覚する。大不況の時代に当時は画期的であった公共事業を続々と興し、国の経済を立て直した業績が宣伝される。劣等感に苛まれる者ほど受容され・肯定された思いから国家のために励む。教会のこどもにもヒトラーユーゲントへの入団が要求される。マスメディアでは英雄のインタビューが花を添える。この「全てがうまく行っている」との陶酔感とは無縁のまま、冷静に行く末を見極めようとする羊がいた。
羊が眠らなかったのは、時代に抗う特別な能力のせいでない。それは「わたしは自分の羊を知っており、羊も私を知っている」という一点につきる。羊には実に多彩な特性がある。「わたしは羊のために命を捨てる」。羊に自己責任を要求する盗人や強盗とは異なり、よい羊飼いは身を挺してこの羊を守る。
初代教会の人々が仰ぎ見たのはよき羊飼い主イエス・キリストの姿であり、神なき権力と繁栄を背景に立つローマ皇帝ではなかった。「だれも、わたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である」。地上の国家の法を超えた力をもつ、主イエスの掟は羊たちのいのちを育むための掟。教会がその宣教の源として、神の唯一の言葉の他に、他の出来事や力、現象や真理を、神の啓示として受け入れられるとか、認めなければならないというような教えを退ける態度を示したその宣言の響きは、今なお止むことを知らない。

2016年6月26日日曜日

2016年6月26日「恐れてはならない」稲山聖修牧師

聖書箇所:使徒言行録22章22~29節

 我が身顧みずエルサレムへ赴くパウロの真意とは。それは献金を届けるため。エルサレムの教会は財政的には困窮の身にあった。パウロは決して苦境にあるエルサレムの教会を侮らなかった。本日の聖書の箇所の導入としては、パウロが主の兄弟ヤコブとやりとりをする21章17節以降が相応しい。
 この箇所を丹念に味わうとヤコブの申し出はいささかちぐはぐだ。パウロが異邦人伝道について報告すれば、ヤコブは大勢のユダヤ人キリスト者が、未だに戒律主義の軛から解放されていないと明言する。これはパウロの立場とは相容れない。更には「あなたは異邦人の間にいる全ユダヤ人に対して『こどもに割礼を施すな。慣習に従うな』と言って、モーセから離れるように教えている」と困惑する。
 かつて律法学者であったパウロには、戒めを否定することなど論外。パウロが異邦人に向けて語った内容はコリントの手紙Ⅰ.17章19節では「割礼の有無が問題ではなく、大切なのは神の掟を守ること」、ガラテヤの信徒への手紙6章15節では「割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新たに創造されることです」が軸。誤解を受けたパウロの献金はエルサレムの教会に拒否されたのではと感じさせる記事が続く。
 パウロの弁明を聞き及んだ人々は、憎しみも露わにいのちを奪おうと殺到する。そこで描かれるのがローマ帝国の千人隊長。千人隊長は高級将校としての采配を振るう立場にある。パウロに鞭が振り下ろされようとしたその時、その口は「ローマ帝国の市民権を持つ者を、裁判にかけずに鞭で打ってよいのですか」と伝える。追いつめられたこのとき、パウロは彼ならではの神からの授かりものを初めて世に示す。この市民権は人間性を欠いた処遇に対する楯となった。千人隊長は畏怖しながら「わたしは多額の金を出してこの市民権を得たのだ」と伝える。
 人生の方向性が問われる時。千人隊長は自分の保身と名声のために市民権を得た。彼に頭を下げる人はいただろうが、それは肩書への敬意にすぎない。他方パウロは身を顧みずエルサレムの教会のために献金を届けに来た。その祈りは使徒ヤコブの抱える課題を浮き彫りにした。キリストご自身が市民権も得ぬまま救い主としてのわざを通して明らかにした力。聖霊がパウロの口を開いた。今も働くその力に押され、私たちは各々の場へと遣わされる。

2016年6月19日日曜日

2016年6月19日「主イエスが備え給う勇気」稲山聖修牧師

聖書箇所:使徒言行録21章7~16節

パウロのエルサレム訪問は、危険な賭けでもあった。引き留めようとする人々の群れ。その声にパウロは動じない。「泣いたり、わたしの心をくじいたり、いったいこれはどういうことですか」。尋常でない引き留めの理由は、ユダヤ教徒がパウロの手足を縛り、弟子達はおろか、パウロ自らも思いの及ばないところへと連れて行ってしまうとの預言があったからだ。
この物語と、ヨハネによる福音書21章での主イエスとペトロの対話が重なる。食事の後、ペトロに三度「私を愛するか」と問うて『イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた』。
ペトロやパウロの立てた人生最期の証しをめぐり、聖書は沈黙する。けれどもユダヤ教徒に帯で手足を縛られ、異邦人に引き渡されると語られたパウロの道筋、そして他の人に帯を締められ、行きたくないところに連れて行かれると主イエスに示されたペトロの歩みは、キリストへの服従を問いかける。教会の中心に立つのは誰か。この問いを前に、目指す事柄は自己実現に終わらないことに気づく。礼拝を通じて世に響く主イエスの声。「あなたは私を愛するか!」。主イエスがペトロに問いかけた二度の問いかけとは異なり、三度目の問いかけで初めて主はペトロと同じ「フィレオー」という言葉へと謙る。これは主イエスが近づくに連れて、ペトロはますます主に従わざるを得ないことを同時に暗示する。それは人の望む道が壊れて初めて露わになる。その道は、隣人に仕え、その交わりに神から委託された責任を分かち合いつつ向き合うわざである。その旅路の最終責任は、神がお引受けくださる。だからこそパウロは危機の中に飛び込んでいく。諦めずに賭けていくパウロは攻めの姿勢を貫く。
まことの人の姿とは、神の備えた可能性に最期まで賭ける態度を伴うと今朝の聖書からは読み取れる。人生航路の果てにあるのは自己責任ではない。主が責任を担い、道を備え給う。

2016年6月12日日曜日

2016年6月12日 「大空をみあげたら」稲山聖修牧師

聖書箇所::創世記1章26~31節

暑い夏の日。お空を見あげたら青空が広がり、お日さまがかんかん照りの時もあります。けれどもそんな日の夜、同じお空にはお星さまがたくさん光っていることもあります。朝日が昇って夕方日が暮れるのは、地球の周りを太陽が回っているのではなく、太陽の周りを地球が回っているからです。同じようなお星さまは、太陽に近い順番から、水星・金星・地球・火星・木星・土星・その他となります。火星までが岩と土でできた星、木星からはガスでできたお星さまになります。今朝はこの木星からお話を始めましょう。
木星は12年かけて太陽の周りを回ります。けれども一日は10時間ほどで過ぎてしまいます。お月様は今のところ62個見つかっています。平均気温はマイナス144度。地球からはスペースシャトルを用いて片道2年5ヶ月ほどかかると言われています。実はこのお星さまは太陽になりきれなかったお星さまだとも言われていますが、その代わり様々な仕方で地球を守ってくれています。それは宇宙から飛んでくる、地球を壊してしまうような大きな隕石や小惑星を自分に引きつけて、ガッチリ受けとめてくれているということです。宇宙には北海道や九州ぐらいの大きさの隕石はたくさんありますが、そのような大きな岩の塊を木星が受けとめてくれているから、私たちは地上で暮らせると言われます。
けれども、そのようなしくみで守られている人間は、この地球では一体何をしているというのでしょうか。せっかく神さまがそのような素晴らしい宇宙を創ってくれたというのに、大人たちの喧嘩が絶えません。戦争も終わりません。まきこまれた子どもたちは、生まれた場所が違うだけで辛い思いをしなければならないのです。
悲しんだ神さまは、私たちに救い主を遣わしてくださいました。イエス様は「けんかはよそうよ、お互い大切にしようよ」と教えて、病気の人を癒したり、悲しんでいる人を励ましたりしてくれました。干からびた人の心に、すてきなお花を咲かせてくださいました。自分のいのちを犠牲にして、弱い人を守ってくれました。悲しいことがあったら、大空をみあげてみましょう。太陽を回っている地球の家族の星の姿と、イエス様を重ねてみましょう。小さな人間に神さまの大きな力がそそがれていることに気づかされ元気になりますよ。大人はしっかりしなくては。

2016年6月5日日曜日

2016年6月5日「受けるより与える方が幸い」稲山聖修牧師

聖書箇所:使徒言行録28~38節

本日の聖書の箇所は、使徒言行録20章16節には「パウロは、アジア州で時を費やさないように、エフェソには寄らないで航海することに決めていたからである。できれば五旬祭にはエルサレムに着いていたかったので、旅を急いだのである」を背景とする。
しかし17節ではパウロはミレトスからエフェソの教会の長老を呼び寄せている。パウロはエフェソに前向きな思いで立ち寄らなかったのではなく、エフェソへ出入りを禁じられたのではなかったか。当初三ケ月の予定が二年に及んだ滞在。この間パウロは危険を冒しながら教会を導いた。しかし待ち受けていたのはエフェソへの出入禁止。交わりを育みながらも結局は立ち去らざるを得ないパウロの涙の理由。エフェソで向き合ったのは、人々の好意や歓迎の思いというよりは敵意や憎しみや辱めが殆ど。けれどもパウロは一度も神を呪わず、境遇を嘆かなかった。人の脆さを見つめては、陰府にまで降ってまで人を追いかけてやまない主イエスの愛を証し続けた。
パウロは働きの果実を見ないまま別れを告げなくてはならない。このような別れを私たちも人生の節目で味わう。天に見送るだけでなく、大切な人を主にお委ねしなければならない時がくる。
本日の聖書箇所には「長老たち」という言葉が出てくる。初代教会は一定の組織として働き得る力を授かっていることが分かる。組織の成長あればこそ楽観的な将来を語らない。迫害よりも恐ろしいとされる根腐れの時代をパウロは予告する。内部分裂と言い争いの中に、主に活かされる喜びの声を聞くことは難しい。だから「わたしが三年間、あなたがた一人ひとりに夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい」。という涙ながらのパウロの慟哭が響く。その中で「受けるよりも与える方が幸いである」との主イエスの教えに根ざし、弱い者に仕えることを呼びかける。与えるとは献げること。それはとりもなおさず分かち合うことを意味する。わたしたちも各々に託された賜物を献げている。嵐を前にして教会がなすべきことは、イエス・キリストに服従する姿勢を大切にして、お互いに仕え合い、支え合うことだとパウロは語る。やがて来る実りの時を待ちながら、パウロはエフェソを後にした。人生の旅
路は一期一会。だからこそ互いに仕え合う働きを大切にしたい。

2016年5月29日日曜日

2016年5月29日「青年エウティコの目覚め」稲山聖修牧師

聖書箇所:使徒言行録20章7~12節

 夢で授かった御使いの言葉を通してヨセフはマリアと結ばれ、ヘロデ王の追っ手からエジプトへと逃れることができたように、聖書の物語では眠りは大きな意味を持つ。反対に、感覚の麻痺やタイミングを見抜く時を逸した具合に及んだとき、物語の書き手は人の課題を浮き彫りにする。モーセに逆らうヘブライ人の奴隷や、エリヤに日和見的な態度をとるイスラエルの民。いずれにしても朦朧とした居眠りに呆けた人の姿を的確に表わしている。
 パウロはコリントの信徒への手紙二10章で記す。「あなたがたの間で面と向かっては弱腰だが、離れていると強硬な態度に出る、と思われている、このわたしパウロが、キリストの優しさと心の広さをもって、あなたがたに願います。わたしがそちらに行くときには、そんな強硬な態度をとらずに済むようにと願っています。わたしたちは肉において歩んでいますが、肉に従って戦うのではありません。わたしたちの戦いの武器は肉のものではなく、神に由来する力であって要塞も破壊するに足ります。わたしたちは理屈を打ち破り、神の知識に逆らうあらゆる高慢を打ち倒し、あらゆる思惑をとりこにしてキリストに従わせ、また、あなたがたの従順が完全なものになるとき、すべての不従順を罰する用意ができています」。
 パウロは緻密な聖書の解釈に基づいて救い主のわざ、そして父なる神の愛を、異邦人を相手に伝えていた。青年エウティコはパウロの話が長々と続いたのでひどく眠気を催し居眠りをし、三階から落ちた。パウロが抱きかかえて言うには「騒ぐな。まだ生きている」。癒しのわざを行うわけでもなく、パウロは元の部屋で夜明けまで長い間話し続けたとある。使徒言行録でのパウロの振る舞いはつれなく見えるが、コリントの信徒への手紙の記事と併せるならばエウティコの居眠りをめぐるドラマで教会が問われる事柄が浮き彫りにされる。エウティコは神との関わりを絶たれてはいない。救い主を十字架におかけになった神の愛は、全ての人の垣根を越えていき、十字架にあるイエス・キリストの苦悶は、傷つけられた全ての人の苦しみを癒し、復活の出来事は死の力、暗闇の力に終止符を打ち、それは被造物全てに及ぶ。その力はローマ帝国の要塞の壁でさえ打ち壊す。まどろみの中でなおも目覚めた人々の立てた証しが聖書に記されているのだ。

2016年5月22日日曜日

2016年5月22日「混沌に道を拓く聖霊のわざ」稲山聖修牧師

聖書箇所:使徒言行録19章23~32節

 現代では信仰の問題、あるいは時として教会でもイエス・キリストとの関わりは「こころの問題」に矮小化される場合がある。もし事情がそうならば、パウロはエフェソで騒動に遭わなかったろう。デメトリオという銀細工師の元締らしき人物はアルテミスの神殿の模型を銀で造り、職人たちにかなり利益を得させていた。それは自分たちの暮らしを豊かにしようとする内面からの欲求でもあった。けれどもそれは聖書の道筋からすれば、神なき繁栄と神なき権威をこしらえ、その座にあぐらをかく営みでしかない。
 神なき繁栄と神なき権威に依り頼む者は、安穏を揺るがす者の知らせに怯え、裏付けもなく排除にかかろうとする。この混乱は、信仰は個人の内面の問題に過ぎないと語り続けてきた近代・現代の世界の混乱に重なるところがある。人間の内面を問うばかりでは、闇が必要悪の名のもとに正当化されていく。けれどもそのわざは、かけがえのない交わりや信頼関係を台無しにする。32節「さて、群衆はあれやこれやとわめき立てた。集会は混乱するだけで、大多数の者は何のために集まったのかさえ分からなかった」。全てのつながりが解体された世界。それは「内面の問題」という物語のもつ限界としても読み取れる。
 しかし今朝の聖書の場面では、人々の混沌とともに、教会の持つ交わりの特質が浮き彫りにされてもいる。例えばパウロを支える人々が現れてこの混沌の群れとは異なる道を拓く。師の思いに逆らってでも群れに入れさせまいとする無名の弟子。アジア州の祭儀を司る高官たちも、パウロに使いを派遣して阿鼻叫喚の坩堝と化した劇場に入らないようにと頼む。この交わりと計らいによって、パウロの身は護られた。転じてそれは、デメトリオの不正を暴く。混沌を描きながらも同時にこの混沌を超える聖霊のわざを、使徒言行録は明示する。
 アルテミスの名を呼ばわり叫ぶ人々の姿は「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫び続けた群衆と何も変わらない。使徒言行録と書き手が共通すると言われるルカによる福音書では、十字架の上で世の暴力を赦すべく祈る主イエスの姿を描く。神を仰がない世に義憤を感じる人々は教会に少なくない。私たちはその義憤を秘めつつ言葉にならない声を神に訴えたい。主は祈りを聞き届け、思いも寄らない仕方で私たちの道を備え給うからだ。

2016年5月15日日曜日

2016年5月15日「神の国と神の義」稲山聖修牧師

聖書箇所:使徒言行録19章8~22節

聖霊降臨の出来事とは教会の誕生と刷新の出来事でもある。そして出来事一つひとつが一回限りの異なる仕方で、某かの試練を伴って現れる。今朝の聖書の箇所で陸路からエフェソに入ったパウロは三か月間会堂で非難のうちに神の国を説き、ティラノの講堂で二年間論じた。その結果アジア州に住む者は誰もが主の言葉を聞くことになった。当初は三ヶ月の予定に過ぎなかったパウロの滞在が二年も長引いたのである。不安定であった初代教会は分裂の可能性、外部から来た者からの攪乱、あるいは土地の倣いが持ち込まれた結果生じる様々な秩序の乱れと向き合っていた。
例えば「神は、パウロの手を通して目覚ましい奇跡を行われた。彼が身に着けていた手ぬぐいや前掛けを持って行って病人に当てると、病気は癒され、悪霊どもも出て行くほどであった」とある。これは長血を患う女性の物語に重なる、深い関係性が生まれる中での癒しである。病人が他者との深い関わりの中で癒される物語は福音書でもよく見られる通り。しかし本日のパウロの癒しの物語はあらぬ方向へと進む。13節では、各地を巡り歩いているユダヤ人の祈祷師たちの中にも、悪霊どもに取りつかれている人々に向かい、試しに主イエスの名を唱え「パウロが宣べ伝えているイエスによって、お前たちに命じる」という者がいたという。祈祷師という言葉は英語のエクソシストに通じる、除霊を行う人々を示す。この者たちはユダヤ人の祭司の七人の息子であった。この醜聞を暴くのはパウロではなくて、パウロに追い出される悪霊であった。「イエスのことは知っている。パウロのこともよく知っている。だが、いったいお前たちは何者だ」。
悪霊に取りつかれた人々が福音書に記される場合、真っ先にイエスの正体を見抜く者として描かれる。「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ」。悪霊に取りつかれたと名指された人は、その悲惨さを深く知る。最も弱いところに佇む者こそ世のまことの姿を知り抜いている。悪霊に取りつかれた人々が求めたのは神の国と神の義である。神の国と神の義を求めた群れの姿は、神の国と神の義から最も遠ざけられている私たち自身に重なる。その目覚めは聖霊の助けなしには起こらない。キリストを仰ぎ、聖霊降臨の出来事をともに祝おう。

2016年5月8日日曜日

2016年5月8日「光のほうへ」止揚学園学園長 福井生先生 (報告:稲山聖修牧師)

聖書箇所:ヘブライ人への手紙11章1節

今朝は父母の日礼拝を守り、滋賀県東近江市・能登川にある止揚学園から福井生(いくる)学園長、職員の西竹めぐみ先生、東舘容子先生をお招きし、止揚学園の目指すところを、これまでの学園の歩みを振り返り、またこれからの道を仰ぎながらのメッセージを分かち合った。
止揚学園の創設者福井達雨先生を継承する働きを福井生先生は担われた。物心ついたときから知能に重い障がいをもつ方々とまさしく家族として、仲間として暮らしてきた。日常に触れあう仲間とはニックネームで呼び合う間柄。時は流れ、生先生は寮のある高校に入学した。暮しの場所が遠ざかる中で、里帰りした先生は、障がいをもった年上の仲間から「お兄さん」と呼ばれたそうだ。あだ名で呼んで欲しい、ニックネームで呼んで欲しいと問うても呼び名は変わらない。そのときに、自分と仲間とは違う道を歩むのだ、自分は世に言う「健常者」としてできることを精一杯していかなければならないのだと覚悟を決めたという。
本来止揚学園はこどもたちのための施設であったが、歴史を重ねる中、かつてこどもであった仲間たちも歳を積み重ねるにいたった。親御さんたちは「自分が生涯を終えた後、この子たちはどうなるのか」との深い憂いと向き合わなければならない。止揚学園にある納骨堂には、学園に暮らす仲間だけでなく、父母の方々のご遺骨も安置している。納骨堂を開く度に、自分も仲間も深い安らぎに包まれるのだという。イエスさまとともに天国にいるご家族のもとに、いつか自分も帰るのだという確信である。
世の福祉行政は決して止揚学園には温かな風を送ってはこなかったが、日々の歩みを重ねる中で地域の人々は止揚学園に深い信頼と理解を寄せている。行政の下での経営を見据えながらも、その制約を超えて歩んでいかなければ、止揚学園の目指す働きは成り立たない。今日の聖書の箇所はヘブライ人への手紙11章1節「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」。止揚学園はイエス・キリストがお示しになった光なる神の愛を仰ぎ、これからも歩みを重ねる。西竹めぐみ先生の清らかな歌声が響く礼拝堂に集まった教会員、保育園職員、保護者は全員、メッセージに深く打たれた。神様の溢れる祝福が、止揚学園の働きに備えられるよう祈る。

2016年5月1日日曜日

2016年5月1日「キリストに連なる群れの底力」稲山聖修牧師

聖書箇所:使徒言行録18章18~26節

 パウロはコリントの街に一年六ヶ月もの間留まった。その間教会の層も厚くなる。メシアは主であるとのパウロの立てた証しに生き方を動かされた群れを丹念に使徒言行録は記す。例えばアキラとプリスキラ。二人はパウロの頼りになる補佐。パウロは二人を遺してエフェソから船出する。問題はプリスキラとアキラのエフェソでの働きである。18章24~26節には雄弁家アポロがバプテスマのヨハネの洗礼しか知らないのを聞き、二人はより正確に神の道を説明した、とある。
 初代教会はしばしば分裂の危機に立たされた。例えばコリントの信徒への手紙一1章10~13節にはその深刻さを垣間見る。ここでパウロとケファ、則ちペトロとならび名が記されるのがアポロ。そのアポロを説得したのがプリスキラとアキラになる。信徒である二人の言葉は、証しの面でも言葉においても聖霊の賜物があったのだろう。この分裂の危機の克服はコリントの信徒への手紙一3章4~6節に記される。プリスキラとアキラ、そしてクロエの陰ながらの働きを通じてコリントの教会の群れは次の自覚を新たにする。「神の畑、神の建物」。
 世の節目にあたり常に教会は危機とともにあった。教会の指導者が舵取りに成功したり、あるいは命がけの働きを果たしたりした場合に、その名が歴史に深く刻まれる場合がある。しかしパウロは「神の畑、神の建物」としての教会員を重んじる。神の建物とはエルサレムの神殿に重ねられた、イエス・キリストに連なる教会を示す。主に用いられ、教会に連なる群れの底力が発揮されるならば、危機でさえ新しい気づきや未知の可能性に開かれる。
パウロはローマの信徒への手紙1章5節から次のように語る。「まず始めに、イエス・キリストを通して、あなたがた一同についてわたしの神に感謝します。あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです」。全てに先立つのは教会への感謝。教会員の立ち振る舞いに口を挟む指導者の姿は希薄だ。パウロが「イエス・キリストを通して」と語るならば、真心からの感謝を意味する。感謝は関わる相手への敬意なしには不可能だ。使徒と信徒の交わりをもたらした聖霊の働きが、多くの危機を経る毎に明らかになり、今日の教会に注がれている。GWの最中被災地に遣わされた兄弟姉妹を覚えて祈りを重ね、奉仕のわざを具体化したい。

2016年4月24日日曜日

2016年4月24日「額に汗する中での交わり」稲山聖修牧師

聖書箇所:使徒言行録18章1~11節

 パウロがコリントの街で出会った夫妻アキラとプリスキラ。三人を結ぶ職業スケノポイオイはテント造り、あるいはユダヤ教徒が礼拝を献げる際に用いるショール作りとも訳せる。額に汗する中での交わりを通し、パウロは安息日に会堂で論じ合っていた。
 三人の労働は機械化された条件の下では行われない。三人が身体を動かす仕事に従事する描写は、一般に労働は美徳をしなかったギリシア思想やローマの市民層には特異に映ったに違いない。労働は奴隷に任せる伝統が主流だったからだ。陰ながら流した汗がパウロの霊肉併せての力となり、語る言葉を強めた。
 聖書では人は必ず働く姿とともに描かれた。神にかたどって創造された人は、エデンの園を耕す役割を与えられる。エデンの園はリゾート地ではなく、労働が人間本来のありように適った喜びとなる場であった。主なる神は天地創造のわざを自らの働きとした。その似姿が人。反対に今の世では、生きがいをもって臨める職業は限られつつある。過労死(Karoshi)は世界共通語。人間性を疎外する労働問題は未だに解決を見ない。人間性を歪ませる労働は交わりから孤独、充実感から病へと人を追い詰める。
 パウロにはテント作りよりも「メシアはイエスである」との証しが重要だった。ともに汗を流す堅い交わりに支えられているからこそ、パウロは困難に毅然と向き合えた。パウロは幻の中で「恐れるな。語り続けよ。黙っているな」との主の言葉を聴いた。
 日毎の働きに伴う事柄を「究極以前の事柄」と理解した神学者がいる。「究極以前の事柄」とは、出来不出来が私たちの命を必ずしも左右しない。究極以前の事柄は、イエス・キリストの十字架と復活に示された「究極的な事柄」と関わって初めて意味をもつ。その関わりの確認の場として礼拝は肝となる。
 職業から交わりが失われるのと並行して現われた働きのあり方。例えばボランティア。聖書の文脈で理解し直すならば奉仕とも呼べる。奉仕なしにいのちを育むことは困難であり、神の似姿としての人が本来の姿を回復する場は稀だ。「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか」。神からの授かった命は、交わりの中で養われる。徒に思い詰めず、各々の場で流す汗の意味を今朝も見極めたい。

2016年4月17日日曜日

2016年4月17日「アテネで立てた証し」稲山聖修牧師

聖書箇所:使徒言行録17章16~21節

 忘れられた山の祠や小さな社。私たちが迷信として退けていた祠や小さな社が先人の記憶のしるしならば軽んじるわけにはいかない。海を望む山の小さな社は大津波の到達点、小さな祠は活断層や地下水脈の分かれ目を示す。痛ましい経験則の積み重ねがいのちを守ってきた。
 パウロはアテネのいたるところに偶像があるのを見て憤慨する。古代ギリシアの学問の都でもあったアテネにはたくさんの偶像があったと使徒言行録は語る。これは奇妙に感じられる。なぜなら学問とは可能な限りの合理的な考えを要求するからだ。アテネの街角に立つ数多の偶像は、痛ましい記憶を刻むのではなく、「あなたが説いているこの新しい教えがどんなものか、知らせてもらえないか。奇妙なことをわたしたちに聞かせているが、それがどんな意味なのかを知りたいのだ」と発する問いの権威づけかもしれない。出会いは出会う二者相互に変化をもたらす。問いかける相手との出会いの中で変化を望まないならば、問いかけは容赦なく他者を切り捨てていく。
使徒言行録が描くアテネの人々の関心は、自分がいかに相手の上に立つかという点に極まる。納得のいく知識に感嘆しても、当人のあり方を変えてしまうような言葉には冷たい。相手のいない対話は単なる呟きと同じ。そのあり方を認めてもらう権威が「町の至るところにある偶像」と重なる。パウロは、コリントの信徒への手紙一で「わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものである」と語る。己を誇るという点でユダヤ教の戒律主義とアテネの哲学者の姿勢には確かに通じるところがある。
 パウロは天地万物の創造主なる神が遣わした救い主を伝えようとした。神はサロンでの議論や書斎での沈思の中で見出されるのではない。あらゆる世の権威や神話が崩れ落ちる中、人は天地の創造主と出会う。イスラエルの民は、苦難の中で、自分の似姿として人を創造した神を思う。破れに満ちた世の只中に、創造主は救い主を遣わし、全ての苦難を味わわせ、これに勝利させた。主イエスは死や傷みに無感覚になるのではなく、真正面から向き合い突破した。死に対する生命の勝利。それが復活であり、関わる人全てを変容させる出来事だ。これこそパウロがアテネで立てた証しであった。

2016年4月10日日曜日

2016年4月10日「人間の混乱と神の摂理」稲山聖修牧師

聖書箇所:使徒言行録17章10~15節

テサロニケでの騒ぎから逃れたパウロとシラスはベレアへと逃れ、新たに宣教のわざに励む。使徒言行録では10節に「兄弟たちは、直ちに夜のうちにパウロとシラスをベレアへと送り出した。二人はそこへ到着すると、ユダヤ人の会堂へ入った」。その距離は概ね75キロ。過酷な旅をしながら、二人はベレアの街のユダヤ教徒の会堂に入る。「テサロニケのユダヤ人よりも素直で、非常に熱心に御言葉を受け入れ、そのとおりかどうか、毎日聖書を調べていた」。使徒言行録はベレアの街の人々に好意的である。聖書は事実上旧約聖書であり、しかも巻物。聖書の読み解きの労は丸一日を費やしたのではないか。
さらに興味深いことは、ユダヤ人だけでなく、「多くの人、とりわけ、ギリシア人の上流婦人や男達も少なからず信仰に入った」。使徒の言葉が響いたのは殆どが社会の片隅に置かれた人々であったが、この箇所では経済的には豊かな社会層にも福音がしみこんだとの変化が記される。民主主義の象徴とされがちなギリシアのデモクラシーは奴隷制度が前提。固定化され、分断された社会層。投票権を持ち政治に参加し、人として迎えられる市民。売り買いの対象とされモノ扱いされる人。交わりに立ちはだかる大きな壁を、パウロとシラスの言葉、そして旧約聖書を調べながら傾聴する人々が揺り動かす。神はご自身に模って人を創造されたのであり、王や特別な階層の人々を創造したのではない。救い主は僕の姿となって世に遣わされたという使信。僕とは端的には奴隷を示す。無限に広がる大宇宙を、有限とされる創造主なる神が、世を愛するゆえに遣わした救い主は、奴隷に身をやつしていた。神の愛は隔ての壁を悉く突き崩す。新たな交わりが創造される瞬間である。
同時にこの交わりは、既成秩序にすがる人々に大混乱を引き起こす。テサロニケで暴動を起こしたユダヤ人が、ベレアまで押し寄せてパウロとシラスを妨害する。喜びの歌に騒音を持ち込もうとする。その結果、アテネへの新たな旅の時が熟し、新たな門が開かれる。
今日は定期教会総会を開催する。各部署からの報告には、新たな展望を求める声がある。しかし怖じる必要は無い。教会は集まる人を問わず、讃美を奏で、歌うことができる。神を讃える喜びのハーモニーは、人間の混乱をも用いて響き渡り、神の摂理を映し出すのだ。

2016年4月3日日曜日

2016年4月3日「王なる主イエス・キリスト」稲山聖修牧師

聖書箇所:使徒言行録17章1‐9節

 「新しい葡萄酒を古い革袋に入れる者などはいない。そんなことをすれば、革袋は破れ、葡萄酒は流れ出て、革袋もだめになる。新しい葡萄酒は、新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、両方とも長持ちする」(マタイによる福音書9章14-17節)。
新年度を始めるに当たりこの聖句を楯に強引な組織刷新を正当化するのは問題がある。律法の成就者として敵を愛し、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府に下られたという歩みの果てにある救い主の復活の出来事こそ私たちの喜び。革袋の中では酵母菌が時をかけて雑菌と戦い勝利した暁に発酵が生じる。
命を賭したパウロとシラスの使信はこれに重なる出来事をもたらす。ギリシアの街テサロニケ。使徒言行録17章2節でパウロは粘り強く証しを立て、三週間もこの街に滞在する。しかし多くの回心と引き換えに待っていたのは暴動であった。パウロとシラスに宿を供したヤソンの家を襲い「世界中を騒がせてきた連中が、ここにも来ています。彼らは皇帝の勅令に背いて、『イエスという別の王がいる』と言っています」と騒ぎ立てる。けれども最も動揺していたのは「イエスがローマ皇帝を凌ぐ別の王だ」と騒いだ人々ではなかったか。十字架刑の主イエスの頭上には「ユダヤ人の王」と刻まれた。本日の箇所では皇帝の勅令に背いたとの言葉が付加される。暴動を起こした人々でさえ主イエスがその時代の最高権力者をも凌ぐ統治する力を備えた救い主であると認めたのである。
 この混乱の当事者ともなったパウロは、テサロニケの信徒への手紙一で「ちょうど母親がそのこどもを大事に育てるように、わたしたちはあなたがたをいとおしく思っていたので、神の福音を伝えるばかりでなく、自分の命さえ喜んであたえたいと願ったほどです。あなたがたはわたしたちにとって愛するものとなったからです」と記す。わが子のために母親が、自らのいのちをなげうつ姿に、パウロは自らの思いを重ねていた。
新たに腹を括った時には様々な物事が観えてくる。観たくない物事が気に障ることもある。しかし復活の光の中でその物事に向き合うならば、またとない宝を見つけるかもしれない。人間のわざには限界がある。それは問題の諸元となる課題についても言える。私たちは神なき繁栄や権力を無効とされる、主イエス・キリストを王とする群れなのだ。

2016年3月27日日曜日

2016年3月27日「復活の光につつまれる朝」稲山聖修牧師

聖書箇所:ヨハネによる福音書20章11~18節

杭殺柱刑。十字架刑をそう表現する人もいる。ただの死刑ではなく見せしめの処刑法。「エロイエロイレマサバクタニ」。わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですかと語り、その後に大声を上げて息をひきとられた、と福音書は記す。
 傷みに傷んだその身体を抜きに復活の物語は語れない。しかし、話はそこで終わらない。墓に葬られた後、主イエスを慕う女性たちが亡骸を清めに赴いた朝。その墓を封じる石が取り除かれ、安置された遺体が失われていた。復活の物語の始まりはこの戸惑いと恐怖である。戸惑いと恐怖とパニックの中で、人がいのちの限界として定めている死の世界が突破される。
 墓の中には直ちに入ることができない、マグダラのマリアの姿。マリアは泣きながら身をかがめて墓を覗き、二人の御使いを見る。二人の御使いは二人して語る。「婦人よ、なぜ泣いているのか」。マリアは「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません」と答える。振り向くと「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」と問う主イエスがいる。主を園丁と勘違いしたマリアは「わたしがあの方を引き取ります」と言う。ここにいたるまでマリアの言葉は一人称であることに気づく。復活された主イエスの「わたしにすがりつくのはよしなさい」との言葉は、まだ昇天を経てはいないとの宣言。三位一体の交わりはまだ秘義に留まる。だからこそ主イエスは、マグダラのマリアにある使命を託す。それは「わたしの父であり、あなたがたの父、わたしの神であり、あなたがたの神」のところへ私は昇る出来事を告げる働き。マリアはその働きを忠実に果たす。
復活という死に対する生命の勝利、闇に対する光の勝利の出来事は、個人の在り方や想念には留まらない。反対にわがものとしようと試みるほどに混乱を引き起こす。いのちの出来事としての復活は、そして復活に向き合う信仰は、交わりの中で始めて受けとめられる。そこには受け入れ方の多様さと関係性がある。救い主が父と呼びかけた神は、天地万物の創造主。無限に広がる大宇宙でさえ有限とされる神。その神が命の勝利を告げ知らせた。それがイースター。イースターに始まり、イースターに完成したこの年度を踏まえ、新たな朝へと漕ぎ出す私たち。主のご復活を祝おう。

2016年3月20日日曜日

2016年3月20日「救い主は小さなロバに乗って」稲山聖修牧師

聖書箇所:マルコによる福音書11章1~3節・使徒言行録16章25~40節 

不正な権力を倒そうとするレジスタンスに分派が生まれ、血なまぐさい権力闘争とともに起こる潰し合いはいつの世にも起こる。この流血の事態とは裏腹に、救い主はロバに乗ってやってくる。非力で小さなロバ。神なき繁栄と権力とをわがものにする人々への物言わない抵抗であり、その力に脅かされ、恐怖に圧迫されて暮らしている人々と痛みを分かち合う救い主の姿がある。このロバはイエスを黙々と苦難の道へと連れていく。十字架への道行きは、人の心に救う闇を暴き出す。弟子は離れ、裏切りに遭い、身柄を不当に拘束され、かたちばかりの裁判を通して、死刑の判決を受ける。その歩みがあればこそ、囚われの身の人々、社会から疎外された人々の只中に、不滅の光が灯された。愛敵の教えの全うを通じて復讐の連鎖に「待った」がかかる。世は一転して、いのちの力に満ち溢れる道が開かれる。
パウロとシラスは獄屋に閉じ込められた。主イエスが乗った小さいロバの後を追ったがゆえの結果。しかし二人は牢の中で讃美をし、祈る。苦役に用いられるロバのように枷をはめられたパウロとシラスは、神の言葉に全てを委ねる。その力は世の力が画策し、打ち立てた枷を粉々にする。そして世の力への依存と絶望から、いのちの希望へ人を連れ出す。使徒言行録16章29節で自害を取りやめた看守の呻く、「救われるためにはどうすべきでしょうか」との求めは、心の安らぎや自分探しには留まらない、命の問題としての信仰を問う。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」。主イエスを信じるわざは、看守一人に及ぶ力ではなく、波紋のように家族全体に広がっていくとの確信が看て取れる。小さなロバに乗った救い主の歩みが、個人の内面を超えて進んでいくさまが活きいきと描かれる。救いとは交わりであり、同時に世代へと異なる形をとりながらも、確実に広がっていく力を帯びる。主イエスの歩んだ受難の道に、パウロとシラスも足を重ねていく。けれどもそこにはいのちの希望が秘められている。今は苦しみの中に隠されてはいるけれども、数多の人々が分かち合ういのちの希望の光がすぐ近くに来ている。それが受難週の歩み。棕櫚の主日。「憎しみと破壊」に勝利する救い主の復活を待ち望む時代を私たちは迎えた。

2016年3月13日日曜日

2016年3月13日「真実は涙の中に」稲山聖修牧師

聖書箇所:使徒言行録16章1~10節
  
教会としての条件として定められたエルサレムの使徒教令。割礼の条項が外されたことは画期的ではあるものの、敷居そのものがあるのは変わりない。敷居そのものを認めないパウロは孤高の道を選ぶ。しかし予期せぬことにパウロは新たな同志を授かる。一人はシラス。もう一人はテモテ。この三人連れの宣教グループが生まれる。このテモテを念頭に置いて記されたと言われるのがテモテへの手紙である。
 使徒言行録は初代教会の一致を意識して記された物語であるため、つじつまの合わない箇所もある。例えばテモテに割礼を授けたという箇所、あるいはエルサレムの使徒と長老たちが決めた規定を守るようにと伝えた箇所。これは「イエス・キリストに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切だ」とするガラテヤ書の立場とずれる。ただしパウロの道中については信憑性を認めざるを得ない。8節に「ミシア地方を遠ってトロアスに下った」とわずか18文字で記される距離は広大である。直線距離で400キロの旅。素朴な教会員を躓かせないためにも、パウロ自ら何度も物理的に躓き傷つきながら、山伏のように時には岩肌に這いつくばりトロアスを目指した。
 テモテへの手紙Ⅱはテモテと離れ離れにならなければならず、パウロが囚われの身になっていることが想定できる。パウロはその中でなおも語る。3~4節には「わたしは、昼も夜も祈りの中で絶えずあなたを思い起こし、先祖に倣い清い良心をもって仕えている神に、感謝しています。わたしは、あなたの涙を忘れることができず、ぜひあなたに会って、喜びで満たされたいと願っています。そして、あなたが抱いている純真な信仰を思い起こしています」とある。この「純真な」と訳される言葉、英語ではsincere、「誠実な・まじめな・混ぜ物のない」という意味。誠実で、まじめで、真面目な信仰が、世の様々な現実と関わるならば、涙や悲しみが生まれる。涙に裏打ちされた純真な信仰が、囚われの身にあるパウロを励ます。純真な信仰の涙が、テモテとパウロを結びつける。この交わりを通して、キリストに連なる群れは我知らずして世の力に打ち勝つ。キリストの痛みに比べれば、私たちの痛みなど取るに足らない。パウロはその確信をテモテと分かち合った。その希望を抱いて受難節を過ごしたい。

2016年3月6日日曜日

2016年3月6日「世の別れは訣別にあらず」稲山聖修牧師

聖書箇所:使徒言行録15章36~41節

三月は別れの季節。「去る者は日々に疎し」とはいえ切なさは残る。かつての律法学者サウロを導いたバルナバとパウロとの別れ。異邦人伝道をめぐるエルサレムでの使徒会議の後、二人は袂を分かつ。問題はパウロがバルナバとともに訪ねた街々でイエス・キリストの教えを受け入れた人々のアフターケアの提案を発端とする。なぜパウロはバルナバと衝突しなければならなかったのか。鍵はエルサレムの会議で決められた「使徒教令」。内容は「偶像に備えられた動物の肉と、血と、絞め殺した動物の肉と、みだらな行いとを避ける」こと。当時偶像に備えられた肉は市場に流通していた。血抜きをせず絞め殺した動物の肉も同様。「みだらな行い」とは近親婚を示すという。この教令への態度が深い溝となる。パウロはこの決まり事に関しても教会への敷居にはしないからだ。結果パウロは孤高の道を選ぶ。
初代教会が格闘した課題は私たちとも無縁ではない。憤懣やるかたない人と、私たちは食卓を穏やかに囲めるか。もてなしの食卓が習慣になじまないとき、私たちはどうすればよいのか。ユダヤ教の影響の色濃いエルサレムの群れには、異邦人は絶えず違和感を突きつける民であった。教会が人のあらゆる節目に向き合い、主イエスの執り成しを通して赦し合う場所であるとの確信がパウロにはある。
パウロの「生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです」と語る言葉には、キリストとの神秘的な一体感よりも自己理解を主に委ねてきったあり方が示されているのではないだろうか。背後にはバルナバでさえ異邦人との交わりに一定の制約を設けなければならなかったことへの失意と絶望がある。聖書の言葉に活かされる体験は、この世への絶望や別れと深く関わっている。
 受難節の暦を辿るにつけて、私たちはパウロとバルナバの別れの悲しみも、イエス・キリストが自らの苦しみを通して、新たな出会いへの喜びへと切り結んでいてくださるわざに思いを馳せる。主イエスも、十字架を前にして恐怖しうめき声をあげた。救い主が自ら「見捨てられた悲しみと絶望」を担ったのだ。だから私たちは「さよならだけが人生さ」と呟く悲しみと虚しさからも解放されている。永遠の別れに勝利してくださった主イエスを信頼し、新たな再会を期して歩みを始めよう。

2016年2月28日日曜日

2016年2月28日「あなたの苦しみを一身に担うキリスト」稲山聖修牧師

聖書箇所:使徒言行録15章1~5節
  
パウロとバルナバの働きに、ユダヤ教の意識強い群れから「待った」がかかる。「ある人々がユダヤから下ってきて、『モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない』と兄弟たちに教えていた。それで、パウロやバルナバとその人たちとの間に、激しい意見の対立と論争が生じた」。救いの理解について袂を分かとうとする人々がエルサレムに集まった。「ファリサイ派から信者になった人が数名立って、『異邦人にも割礼を受けさせて、モーセの律法を守るように命じるべきだ』と言った」との記事から、パウロとバルナバと批判した人々が、ファリサイ派との関わりを暗示する。しかしパウロも「ファリサイ派から信者になった人々」の一人であった。
事態の深刻さは、ガラテヤの信徒への手紙1章8節から9節の記事からも推し量れる。「たとえわたしたち自身であれ、天使であれ、わたしたちがあなたがたに告げ知らせたものに反する福音を告げ知らせようとするならば、呪われるがよい。わたしたちが前にも言っておいたように、今また、わたしは繰り返して言います。あなたがたが受けたものに反する福音を告げ知らせる者がいれば、呪われるがよい」。ギリシア語で呪いを示す「アナテマ」の意味は「滅ぼす」、後の教会では破門をも意味する。
昨年来、泉北ニュータウン教会の主任担任教師として赴任して一年が経とうとしている。先代が退任された理由には、教会の刷新というまことに重大なテーマが含まれていた。託された役目に関して申しあげれば、今は見極めの時と備えの時。私たちは困難な時代に敢えてその変貌のわざにじっくりと取り組む。性急な変革には常に排除が伴うからだ。アナテマと言い得たのは危機的状況下に真理問題が脅かされた初代教会だったからこそ。真理問題について原理的には分っていても、私たちにはその場の雰囲気に巻き込まれ、本来言わなければならない事柄に沈黙する弱さがある。真理問題を曖昧にしないために、かつて教えられたことをより発展させていくために、今は奉仕のわざとともに学びを深めなければならない。それは、イエス・キリストの歩みを問い尋ねることに他ならない。主イエスが「わたし」だけでなく「あなた」の苦しみを一身に担われた出来事への確信なしには教会は成り立たないのである。

2016年2月21日日曜日

2016年2月21日「早春音楽伝道礼拝ショートメッセージ」稲山聖修牧師

聖書箇所:コリントの信徒への手紙二.12章9節

 ほんの数秒間の出来事とともに、人生の全てが変わり果ててしまう。本日の合唱で歌われた曲の詩を作られた星野富弘さん。24歳、群馬県・高崎市立の中学に体育教師として着任して二ヶ月後、体操部の模範演技中の事故で頸椎を損傷し、肩から下の機能を失ってしまう。1970年、高度経済成長期にあたる昭和45年のこと。急速に経済発展を遂げる社会の中で、人は「役に立つか、役立たぬか」とのふるいにかけられる。そして経済成長に貢献できない者は片隅に追いやられていく。身体に障害を負った方には、その意味で自らを受け入れるのがまことに困難な時代であったはずだ。星野さんは9年間におよぶ入院生活の間に、口にくわえた筆で水彩画、ペン画を描き始め、後に詩を加え、退院後は「花の詩歌集」として数々の作品を創作されるにいたった。それは、時代のあり方を憂うる人を軸に深い共感の輪を広げていった。
星野さんの詩には「暗く長い土の中の時代にあった。いのちがけで芽生えた時もあった。しかし草は、そういった昔をひとことも語らず、もっとも美しい今だけを見せている」とのごく短い作品もある。実に短い詩、アフォリズムにも似た詩でありながら、その言葉は期せずして今の時代の現実をも浮き彫りにしながら、涙に暮れる人々を力強く励ます。暗く長い土の中の時代。それはどのような時代だったろうか。いのちがけで芽生えた時、それはどんな瞬間だったろうか。その果てに記されるのは、花ではなく草。
 世に草莽という言葉がある。有名な、鮮やかに花咲かせる人々ではなく、無名ながらも社会を根底から支えてきた人々を「草莽」と称する。「草は、そういった昔をひとことも語らず、もっとも美しい今だけを見せている」。春の嵐の過ぎた朝。アスファルトを突き破って咲くたんぽぽの力。人の抑圧を突き破る神の愛の力をそこに観た詩人。「わたしの恵みはあなたに充分だ。力は弱さの中で十分に発揮されるのだ」とパウロは語る。今朝は早春音楽伝道礼拝。病床で聖書に触れた星野富弘さんを思い出しつつ、礼拝をともにしたい。春の雨ととともに、大地に深く根を下ろす草のような力を注いでくださる主なる神に、これからの一週間を委ね、いのちの勝利を確信しながら苦難の道を恐れなかった主イエスの十字架を仰ぐ者として。

2016年2月14日日曜日

2016年2月14日「もろ手をあげて主なる神を讃え続けよう」稲山聖修牧師

聖書箇所:使徒言行録14章1~20節

 ピシディアのアンティオキア、イコニオンで失敗に終わったかのようなパウロとバルナバの宣教活動。実は活動にはこれまで見られなかった力強さが備えられている。それは13章46節と14章3節には「勇敢に」語った、と記される。これからの旅の見通しが、駄目になるかもしれない中で、神の力を全面的に信頼する中で沸き立つ凄み。その凄みを帯びた言葉は、時には殺意すら引き起こす。例えばイコニオンでは、互いに牽制し合っていた異邦人とユダヤ人が「一緒になって」二人に石を投げつけようとする。古代ユダヤ教の倣いでは石打とは処刑を意味する。二人は首の皮一枚で難を逃れる。この道こそ伝道旅行の新たな道を開拓する。二人の使徒は同調圧力には決して屈しない。
 それはリストラで起きた出来事でも何ら変わらない。先天的に足の不自由な男性にパウロは大声で「自分の足でまっすぐに立ちなさい」と語る。この癒しのわざがきっかけになり、パウロとバルナバは「生き神様」として群衆に祭りあげられる。その直後には、ピシディアのアンティオキアとイオニコンからやってきた憎悪に燃えた人々が、直ちに群衆を抱き込んでパウロに石を投げつけて気を失わせる。
 祭りあげるわざも見くだす態度も、誠実に相手に向き合う姿勢とは言い難い。いつのまにか、かけがえのない交わりが、重苦しいしがらみと化していく。私たちは受難節の日曜日を迎えた。教会がしがらみに満ちたただの集まりか、十字架の苦しみと死を通して世をあるがまま映し出し、いのちの勝利をお示しになったイエス・キリストを仰ぐ群れなのかを確かめる季節を迎えた。本日の説教題は「もろ手をあげて主なる神を讃え続けよう」とある。モーセが民を祝福し導いた際に献げた祈りの姿勢に倣っているともいわれる祝祷の姿勢。これは神に向けて、あらゆる抗いを止めること、降参することを同時に示しているという。主に委ねるとは、それまで心に根を下ろしてきた倣いや伝統を全て神に返却することである。泉北ニュータウン教会のこれからは、一重に「もろ手をあげて主なる神を讃え続けられるか」否か、二心なく隣人に仕えることができるか否かにかかっている。時代の闇を恐れずに教会は旅を続けてきた。福音を恥としなかったパウロ。失敗を恐れぬ勇気と大胆さは、その恥知らずな姿から始まる。

2016年2月7日日曜日

2016年2月7日「もう一つのふるさとへ」稲山聖修牧師

聖書箇所:使徒言行録13章13~25節

 ピシディアのアンティオキアの会堂で、パウロが語るイスラエルの民の歴史は、出エジプト記、ヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記へといたる。これは神に選ばれたはずのイスラエルが本筋から外れていく影をも併せ持つ。特に王の時代を記すサムエル記に納められた「キシュの子サウル」の物語。サウル王は出身部族と改名以前のパウロの名に重なる「もう一人のサウロ」でもある。
 サウル王の働きは目覚ましく、数多の勝利を手に入れる。次第に勝利に酔いしれていくサウル。戦の前の礼拝はサムエルの役目であるにも拘わらず、彼は勝手に犠牲を捧げる。王の職能が神からの預かり物であることを忘れたサウル。その結果人心が離れ孤独の中で病にいたる。神なき自己信頼と裏返しに、王の職能の重圧に押し潰されていく者の狂気と悲しみが露わとなる。魂の行き場を失ったサウルは口寄せを訪ね、世を去ったサムエルを呼び出しては「なすべき事を教えていただきたい」とすがる。答えは「主はあなたを離れ去り、敵となられた」。その後の合戦でサウルは自刃する。
 このサウル王の生涯を間違いだと、神なき時代の誰が断じ得るというのか。安寧を貪ろうと王を求める民の歪みを背負うために油注がれたサウル王は、懸命にその役目を果たそうとして自滅したのだ。サウル王の過ちから学ぶことがあるとするならば、堂々と采配を振るうべき者が主への信頼を忘れ、その代わりに亡きサムエルを都合よく担ぎ出すくだり。この点を乗り越えていくのがパウロである。
 初代教会には世を歩まれたイエスと出会い、十字架を前に立ち尽す他なかった群れと、聖霊の働きを通じ使徒として召された群れに分かれる。パウロは後者。教会への迫害を通し主イエスに生き方を転換させられた者。サウル王と同じくパウロも一度は死んだ身である。しかし紙一重の違いは救い主の訪れの確信に立つところ。パウロの説教ではキリストの贖いにサウル王も包まれる。
 今朝も私たちはこの礼拝に招かれた。この礼拝こそもう一つのふるさとである「神の国」へと開かれた扉である。この扉から吹くいのちの息吹に充たされ、私たちは安らかに眠り、新たな旅を始められる。もう一つのアンティオキア、もう一人のサウロは、もう一つのふるさとへの道を示している。サウル王の悲劇と苦しみをも主イエスは担ってくださった。

2016年1月31日日曜日

2016年1月31日「パウロの旅の始まり」稲山聖修牧師

聖書箇所:使徒言行録13章1~12節

 パウロの第一次伝道旅行の端緒である本日の箇所には異邦人伝道の拠点となるシリアのアンティオキアの教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、北アフリカのキレナイカ出身のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師がいたと記される。バルナバはキプロス島出身であり、エルサレムの教会との絆を示す使徒。ニゲルと呼ばれるシメオンはアフロ・アフリカンの可能性を否定できず、領主ヘロデと一緒に育ったとされるマナエンは、ローマ帝国の中心部の人々とも接点を持つ。アンティオキアの教会の多様性と国際性は、イエスが主であるとの告白に基づく礼拝に裏づけられる。さらにバルナバとサウロが伝道旅行のため留守にしても、シメオンとルキオとマナエンの三名で当座の運営ができるまでにアンティオキアの教会は成長していた。
 本日の箇所に始まる伝道旅行で二人はローマの軍港でもあったセレウキアから船に乗り込みサラミス島に上陸。この島にはユダヤ人の生活共同体もあった。その後バルナバとサウロはキプロス島のパフォスという街にたどり着く。その道中、エルサレム迫害から逃れてきた人々を励ます中で、バルイエスという「ユダヤ人の魔術師・偽預言者」に出会う。この男は「地方総督セルギウス・パウルス」という賢明な人物と交際していたと記される。この記事からは、役職の甘い汁を吸って帰国するのが一般的だった時代に、地方総督セルギウスはユダヤ教に関心を寄せていた可能性が示される。セルギウスもその時代の例外者。
 パウロに名を変えたサウロとバルイエス。論争じみた筋立てとは裏腹に、パウロにはバルイエスを責め立てる立場はないのは私たちには明らかである。誤った教えに立ったとされるバルイエス。パウロはステファノの殺害に賛成した。神の前では二人の過ちは大差ない。バルイエスに臨んだ神のわざは、かつてのパウロに臨んだ出来事と違わない。目が見えなくなり、導き手を求めるバルイエスを導き手はアンティオキアの教会に連なる者、もしくはキプロス島に暮らす初代教会の関係者となろう。バルイエスの変貌に驚き、セルギウスは信仰に入る。わたしたちの教会もダイナミックに主にある喜びを語ろう。パウロとバルイエスは、遂にはともに主を讃美する喜びを分かち合う。恐れず大胆に主の証しを立てよう。

2016年1月24日日曜日

2016年1月24日「ヘロデの獄からの脱出」稲山聖修牧師

聖書箇所:使徒言行録12章1~11節

ヘロデ・アグリッパ王。クリスマス物語に描かれる暴君の孫。その手にかかりゼベダイの子ヤコブが殺害された。熱狂的なユダヤ教徒はその残忍なわざに喝采を送る。これに味をしめたアグリッパはペトロの身柄を拘束する。
その時代の刑罰の殆どは公開。それは食と気晴らしのエンターテイメントを求める人々の求めに応える支配の手法でもあった。民衆の力を削ぐためのガス抜きに、ゼベダイの子ヤコブは供せられた。ヘロデ・アグリッパは、その支配を確たるものとするため、解放の出来事を示す除酵祭を隠れ蓑として用いた。
暴君の姿とは裏腹にアグリッパのペトロへの恐怖心は、監視に配置された兵士の数から推し量れる。一六名の兵士を一人の人物にあてがう。ペトロを囚えたアグリッパ王は、むしろその世の力をむき出しにした振る舞いの中、却ってペトロに恐怖しているかのようだ。
ところで獄中は恐怖だけでなく、あらゆる誘惑に苛まれる場でもある。この場が信仰を深める「強いられた恵みの場」だと言えるのだろうか。
教会で用いられる「強いられた恵み」との言葉はルカ音書のキレネ人シモンをめぐるエピソードに基づくと言われる。問答無用とばかりに役目を押しつけたり、不条理な苦しみを合理化するために用いられたりもするこの言葉は果たして聖書的なのか。本日の聖書箇所と併せてヨハネによる福音書9章と、コリントの信徒への手紙二12章に則して考えるならば、もし「強いられた恵み」があるとすれば、それは何者かによって強制されるのではなく、弱さや悲しみに臨む癒しの恵みである。人のわざのごり押しを正当化する恵みは言わば「安価な恵み」に他ならない。使徒ペトロは身柄を拘束されるが、主イエスの十字架の姿に倣い証しする時はまだ来ていない。だからこそ御使いが閉ざされた牢獄の扉に逃れの道を備えるのだ。
泉北ニュータウン教会での話し合いでは「喜びを分かち合いましょう」という言葉がそこかしこで聞こえる。獄の中にあっても、キリストと出会った者は決して孤独には陥らない。伝道という言葉に異なる視点から光を照らすと、教会のわざは余計な力みから自由になれるのではないか。腹を括らなければ見えてこない事柄は確かにある。しかしペトロは牢獄の中にあってさえ決して思い詰めてはいなかった。全ての奉仕は神の栄光への讃美に用いられる。

2016年1月17日日曜日

2016年1月17日「クリスチャンと呼ばれて」稲山聖修牧師

聖書箇所:使徒言行録11章19~26節

ステファノの殺害をきっかけにして起きたエルサレムの大迫害の影響は、フェニキア・キプロス・アンティオキアという東地中海沿岸の街と島々に及ぶ。難民と化した初代教会に連なる群れ。その混乱の渦中、キプロスや北アフリカのキレネの出身者がシリアのアンティオキアへ赴き、ギリシア語を話す人々に福音を告げ知らせたと使徒言行録に記される。この噂がエルサレムにある教会に届いた結果、エルサレムの教会はバルナバをアンティオキアに遣わした。バルナバはキプロス島生まれ。時に伝統に凝り固まりがちなエルサレム出身の者ではなく、異邦人の習いに通じていた可能性がその記事から考えられる。同時に「慰めの子」との意味を持つその名には、福音に深い喜びを感じた異邦人の事情を推し量る賜物を看取できる。エルサレムで命を狙われ故郷に逃れたサウロは、バルナバの導きによりアンティオキアにたどり着いた。興味深いのは、エルサレムではなくアンティオキアで初めて「キリスト者」との呼称が生じたと記されるところである。
キリスト者との名称は、元来自称ではなく「他称」であった。自らそのように言わずして、人からそのように名指される。ごく初期には、世で恵まれた者には不快な響きを持っていた可能性がこの名称には強かったという。教会に連なる人々は「癒し」を経験した人々、穿った見方をすれば「悲しみ」を抱えた人がいた。この可能性を踏まえれば交わりに連なる人々の社会層が分る。このような人々が不思議にも喜びに包まれる場こそが教会であった。エルサレムの大迫害の結果生じた難民の群れ、あるいは難民との出会いの中で、キリスト者との呼び名が生じた。そう呼ばれて喜びに包まれた人は、あえて他者に居場所を献げることができたのだろう。
 阪神淡路大震災から21年目の今朝。東日本の震災から5年目の今を比べて異なるところは、格差社会が猛烈な勢いで広がっていることだ。有名大学の大学生でさえ困窮を抱えていたとしても驚く時代ではなくなった。その時代にキリストを仰ぐ群れが時宜に適った姿に整えられるために何が必要か。ときに蔑視の眼さえ向けられたキリスト者という名前を日毎に確認することだ。パウロは「福音は恥ではない」と語る。教会が世の人々の最後の受け皿となるとき、まことの教会として主に用いられる姿を映す。

2016年1月10日日曜日

2016年1月10日「異邦の地に開く喜びの花」稲山聖修牧師

聖書箇所:使徒言行録10章44~48節

 ローマ帝国が設けた都市カイサリアで使徒ペトロの話を聞いた者たちに聖霊が降る。意外にも使徒言行録10章44節で初めて「聖霊が降った」と記される。ペトロは「わたしたちと同様に聖霊を受けたこの人たちが、水で洗礼を受けるのを、いったい誰が妨げることができますか」と語り、イエス・キリストの名によって洗礼を受けるように命じた。この控えめな箇所には、初代教会の抱えていた課題が圧縮されている。それはユダヤ教や旧約聖書とは何の接点もない異邦人への聖霊降臨の出来事が、エルサレムを拠点とする使徒にはショックであった点、そして使徒言行録では初めて「異言」との語が記される点に示される。
ユダヤ教とは全く異質の人々、社会的にはユダヤ人を支配する役目すら担う異邦人に聖霊が降ったことにより、ユダヤ教の流れを汲む人々はもはや信仰の優劣を問えなくなった。洗礼を受けるように命じたペトロと、数日カイサリアに滞在するようペトロに乞うコルネリウスの姿から、分裂の危機に立つ異質の群れが、互いに受入れあおうとする姿勢を看取できる。
また「異言」をめぐって、パウロはコリントの信徒への手紙Ⅰ.14章で「愛を追い求めなさい。霊的な賜物、特に預言をするための賜物を熱心に求めなさい。異言を語る者は、人に向かってではなく、神に向かって語っています。それはだれにも分かりません。彼は霊によって神秘を語っているのです。しかし、預言する者は、人に向かっているので、人を造り上げ、励まし、慰めます。異言を語る者が自分を造り上げるのに対して、預言する者は教会を造り上げます」と記す。さらに「わたしは他の人たちを教えるために、教会では異言で一万の言葉を語るより、理性によって五つの言葉を語る方をとります」と語る。
言葉に理性と他者への配慮がなければ、教会は実に独善的な閉鎖空間となる。日本の教会は理屈っぽすぎて駄目だ、韓国のように祈る教会でなければならないとの声もある。けれども韓国人牧師の一人は「韓国の大教会は立派に見えてもこの世の考えが入り込み、社会で生き辛さを抱える人々の身の置き所がない場合もある。この世の力に負けない判断力を研鑽するためにも聖書と神学の学びに励まねば」と語る。異邦の地に喜びの花を咲かせるため、教会はキリストに根を下ろし御言葉に養われなければならない。

2016年1月3日日曜日

2016年1月3日「新たな出発の道筋」稲山聖修牧師

聖書箇所:使徒言行録10章34~43節
  
本日の聖書の箇所は、使徒ペトロによる百人隊長コルネリウスの前での説教。ペトロの説教は使徒言行録では三度目。エルサレム市街や神殿で行われたかつてとは異なり、今回ペトロは前例を踏襲するわけにはいかない。なぜなら聴き手は異邦人だからだ。この出会いはコルネリウスだけでなく、ペトロにも初めての機会であった。
 ペトロははっきり「どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は神に受け入れられる」と語る。内容はイエスが油注がれた王であり、生きる者と死ねる者とを裁く審判者との面が強調されるが、疑問に感じるのは41節。復活した主イエスを神が現わしたのは「民全体に対してではなく、前もって神に選ばれた証人、つまり、イエスが死者の中から復活した後、ご一緒に食事をしたわたしたちに対してです」との順序の規定。ペトロは自分の立場から主イエスとの出会いの順序を語る。注意すべきは救いの優劣や救いの序列は意味されていない。
 宗教改革者カルヴァンの予定論では、救われる者と滅びるにいたる者が予め定められる。「信じるわざ」と「救われること」との関わりが因果関係になることを抑えもする教えのはずが、その時代の人々を恐怖のどん底に叩き落とした。それならば使徒ペトロの語る復活した主イエスとの出会いの順序、とりわけエルサレムの教会に優位があるとの誤解や、審判をめぐる理解を、私たちはいかに受けとめるべきなのか。
それは十字架につけられた主の僕が、葬られた者であると同時に、甦られた僕としての主キリストが、審判のもとで生ける者として選ばれたとの道筋が鍵になる。ペトロが万が一にも、歴史的順序としての「民全体に対してではなく、前もって神に選ばれた証人」という言葉を救いの序列として誤解するならば、異邦人との出会いの中で使徒自らがまず砕かれなくてはならない。逆に、このかけ替えのない出来事の連なりを否定するならば、クリスマスに始まる救いの出来事の歴史性の否定につながる。
新年を迎え、私たちは双六を思い出す。必ず誰もが振り出しに戻る。教会の一週間も礼拝から遣わされ、礼拝という振り出しに戻る歩みを積み重ねる。そして貴重な証しという歴史的な実が結ばれる。世に溺れないよう、かつてペトロはイエス・キリストを見つめた。新しい出発の道筋を確かめて、この一年を始めたい。